岐阜で活躍する女性の紹介
〜岐阜で活躍する女性からあなたへのメッセージ〜

一文字ずつ丁寧に拾いながら
愛おしむように刷り上げる
手の中で命を宿す
一枚の美濃和紙から
活版印刷の魅力を知る


ORGAN活版印刷室 代表
直野香文(なおの かふみ)さん(岐阜市)

【2016年4月25日更新】

岐阜市の町屋に、インクのにおいが漂う「ORGAN活版印刷室」があります。そこでガシャン、ガシャンと大きな音を立てて、名刺や葉書を一枚ずつ手刷りしている女性が直野香文さん。美濃和紙に刷られた活版印刷はプリンターから出てきたものとは一味違う味わいで、日本の文化を物語る古の香りが漂っています。「香」る「文」という彼女の名にぴったりの、味のある一枚。その風合いから、素顔がちらりと垣間見えます。

活版印刷ならではの
温かみのある風合いを求めて

 現在は「ORGAN活版印刷室」で、名刺やDM、ショップカードや結婚式のペーパーアイテムなどを刷っています。活版印刷とは、二世代前の印刷技術。文字がひとつずつ別々の活字でできていて、活字を選んで組み合わせて作った版(活版)を使って刷ります。木版刷りやハンコなどと同じ原理ですね。ORGAN活版印刷室では手刷りの古い印刷機を使って、美濃和紙や手漉き和紙に1枚ずつ印刷しています。家庭用プリンターや印刷業者のオフセット印刷の方が安く早く、美しく均等に刷り上がりますが、活字を使って行う活版印刷には唯一無二の温かみや味わいがあると感じていますし、それこそがほかの印刷に真似のできない魅力だと思います。オーダーによる印刷はもちろん、活版印刷を体験してもらうワークショップも開催しています。

軽い気持ちで始めたバイトが
自分を形成する「生業」に

 ファッション系の高校を卒業した後、短大へ進学しましたが、20歳で結婚を機に中退。その後、子どもを3人授かりました。その後離婚してシングルマザーになった時、「このままの私で3人を育てていけるだろうか」と不安になり、保育士の資格を取るために短大へ通い始めました。ちょうどその頃、デザイン事務所を営む兄と義姉が、近所の紙問屋から活版印刷の道具一式を譲り受けて「ORGAN活版印刷室」を立ち上げたんです。義姉の妊娠を機に「ちょっと手伝ってほしい」と、兄に声をかけられてバイトすることに。学業の合間のお小遣い稼ぎになればいいな!という、とても軽い気持ちでした。
 卒業後は保育士か活版印刷室を継ぐか、本当に迷いました。少しずつでしたが活版印刷の顧客も増え、このまま下火にしてしまってはもったいないという思いもありましたし、もっと活版印刷のことを知りたい、伝えていきたいという素直な気持ちもありました。保育士の資格は消えるわけではないし、今は活版印刷を!と決意し、平成25年4月に兄のデザイン事務所に就職。その後、6月に県の創業補助金の話があり、兄から独立を勧められ、今に至ります。

「ママも隠しごとはしない!」
我が子に支えられる日々

 現在、長男(12歳)、長女(10歳)、次女(9歳)と一緒に暮らしています。仕事と子育てが両立できている優秀な母親ではありませんし、サボることも多いですよ(笑)。ひとつ決めているのは、「子どもたちに隠しごとはしない」こと。疲れた日は「ママ、今日疲れちゃった!」と正直に言います。そうすると「じゃあ今日どっか食べに行く?」と言ったり、「じゃあ、私と妹で作ってあげるよ!」と娘たちがキッチンに立ってくれたりと、とてもありがたいですね。「ママは君たちのママだけど、でもママも人間だから。しんどい時はしんどいし、弱音を吐きたい時もある」。だからこそいつも正面から正直に向き合っていたいなと思います。賑やかでやんちゃな3人ですが、私自身も息子や娘にとても助けられていると感じます。

活版印刷という伝統技術を
後世へと残していきたい

 昔からものづくりは好きだったので、今は「この仕事、私に向いているなぁ!」と感じます。憂鬱なことがあっても、仕事に打ち込むことがストレス発散になるくらい。
 座右の銘は「やってみなきゃ分からない!」。すぐに諦めたくないのです。難しい注文がきたときなどは特に思います。基本的に言い訳されるのが嫌いなので、自分は何にも言い訳したくない。これは仕事にだけでなく、私の全てに通ずる言葉です。
 活版印刷をはじめてからの出会いは私の宝。全国の同業者さんとの出会いは私の世界を広げてくれました。出店のお誘いをいただいたり岐阜まで会いにきてくださったり、困ったことが起きたら助けてくれたり、人との繋がりは何にも代え難いです。
 昔からの活版印刷所はまだ見かけますが、職人さんたちはご高齢で跡継ぎのいないところばかり。誰かが手を挙げて大切に守っていかないと廃れてしまいます。大変ではありますが、大切な技術を繋げて残していく活動にも魅力やおもしろみを感じています。