「育児をスタートしたばかりのママの不安に、一緒に向き合いたい」。奥村佳子さんはそんな思いで、産前・産後ケアを提供する助産所「ママ・ベビーサポートおくむら」を立ち上げました。行政とも連携し、笠松町を子育てしやすい町にしようと奮闘する助産師に話を聞きました。
もう一度、学校で学びたい!
働いて気付いた看護師の魅力
私はもともと、音楽教師になるのが夢でしたが、「一生食べていける仕事をしなさい」と親から反対され、仕方なく看護師の道へ。名古屋赤十字看護専門学校に入学した後も、モヤモヤした気持ちで学んでいました。
そんな私でしたが、無事に国家資格を取得。卒業後は名古屋第一赤十字病院に入職し、中央手術室を担当しました。中央手術室は、まさに生きるか死ぬかの瀬戸際の治療が繰り返される場です。命を救う看護師の仕事の魅力に気づいた反面、同時に自分の未熟さも痛感しました。「レベルが低い自分が、この場所にいていいのか」と自問自答の日々を過ごしました。2年後に大垣市民病院に働く場を変えましたが、ここでも集中治療室勤務。学生時代、中途半端にしか学んでこなかったことを後悔し続けました。
そこで、大垣市民病院で1年間勤務した後、「もう一度、勉強し直したい」と助産学校に入学することを決意したんです。
現場での疑問から生まれた
産後の母親を支える夢
改めて学校に通い出すと、勉強が楽しくてしょうがなくなりました。看護師として臨床を経験していたので、学んでいることがどれだけ現場で役立つかが理解できました。「もっと勉強したい。学びを深めたい」とどん欲に学んだ結果、助産学校を首席で卒業。大垣市民病院に復帰後も、自信を持って仕事に取り組めるようになりました。
やがて助産師として働くなかで、疑問を持つようになりました。病院の産婦人科では、出産の時しか関われません。行政の制度なども調べましたが、出産後のサポートはあまりありませんでした。「出産後、育児に悩むママをサポートしたい」という思いがこみ上げますが、総合病院にいても、個人の医院に勤めても、組織で動いている以上、アフターケアまで力が及びません。助産師として勤務しながら、どうすれば産後の母親たちをサポートできるか悩みました。
変わらないと始まらない!
自分の夢を形にする
助産所を開業しようと思い至ったのは、49歳の時。「子どもの頃から好きなもので、本気で取り組んだことはあるか」と、たまたま読んだ本に書かれていたことがきっかけでした。自分は何に夢中になってきたのだろうと振り返ると、学生時代にあまりお金がなくて、好きだったアーティストのコンサートに行けていなかったことを思い出しました。そこで、学生時代から行きたかったコンサートに行ってみたんです。すると、私と同じ年代のスーツ姿の人がたくさんいました。私と同じように学生時代から熱狂していた人たちが、年齢を重ねているのを見て、時が流れていること、まわりも、自分自身も変わっていることを改めて実感したんです。「私の今は、今しかない!」とその時、初めて思いました。
その経験がきっかけとなり、母親のサポートについて、何ができるかを考えたのです。自分がしたいことをどうすれば形になるかを知りたくて、岐阜商工会議所が主催する「女性起業塾」を受講し、岐阜県産業経済振興センター主催の「起業家育成塾」にも参加しました。そして、辿り着いた答えが「ママ・ベビーサポートおくむら」です。母乳ケアやアロママッサージ、エクササイズ、各種講座などを実施し、2015年に開業してから100人ほどのママたちをサポートできています。
大切にしているのは、「さまざまな生い立ちの人がいる中で、困っていることに対して絶対に否定しない」ということ。その人が信じてしてきたことを否定せず、どう変えていけばいいのか考えています。また、家族を巻き込むのも大切。父親や子どもにも協力してもらって、母親を一人にしないように伝えてきました。そのため、助産所でありながら、父親も気軽に訪れてくれます。サポートする家族との絆も作れて、ちょうど開業して1周年を迎えた時に子どもたちから「おめでとう」という手紙ももらえたんです。頑張ってきてよかったと、うれしくなりました。
悩んだ時は一人で抱えず
誰かに話すことで前へ
これまでの経験から、私が多くの人に伝えたいのは「まずは言葉にすることからはじめませんか?」ということ。私の家族は夫と長男、長女、義理の母の5人ですが、悩み事を含めて、包み隠さず話すようにしています。私が開業の時にパソコンの前で悪戦苦闘していると、長男と長女が助けてくれました。逆に長女からは、私と同じ助産師になりたいという夢を聞かされ、アドバイスを送ったこともあります。誰かに悩みを伝えたら、まわりも助けてくれるし、自分も前に一歩踏み出せるんです。
現在は、利用者の金銭的な負担を減らせないかと取り組んでいます。もともと笠松町には、産後の育児支援制度があまりなかったので、行政に働きかけ、平成29年度から笠松町ほほえみ事業の一環として当施設のベビーサポートが1回だけ無料で受けられるようになりました。企業でのサポートもできないかと、ロータリークラブに参加する会社経営者にプレゼンテーションをしています。話を聞いてもらえず、挫けそうな時もありますが、とにかく行動あるのみと前を向いています。
忙しくて息が詰まりそうな時は、笠松町内で野鳥を観察。岐阜大学の箕浦名誉教授に勧められて始めた趣味なんですが、人によって作り変えられた環境下で、健気に一生懸命生きる鳥の姿を見ていると、「私も頑張らなくては!」と心を解してくれます。
鳥も人も同じです。限られた環境に諦めて、何もアクションをしなければ、つらいままで変わりません。やれることを一生懸命する。ダメなら工夫し続ける。「志あるところに道拓く」。そんな思いを持ち続けて、自分が暮らす笠松町を、子育てしやすい地域にできればと思っています。