岐阜で活躍する女性の紹介
〜岐阜で活躍する女性からあなたへのメッセージ〜

世界の働く女性の姿を
日本の女性に広く発信
長いスパンで人生設計をたて
希望するキャリアを
組み立ててほしい


森松工業株式会社 取締役 グループ営業企画部部長
西村今日子(にしむら きょうこ)さん(本巣市)

【2017年4月20日更新】

ステンレス製タンクの製造を中心に世界で事業を展開する森松工業株式会社。グループ営業企画部部長の西村今日子さんは、入社当時から海外拠点の設立や発展に力を注いできました。失敗と成功を繰り返すなかで、肌で感じたのは各国の女性のたくましさや、当たり前のようにキャリアを積める環境。少しでも多くの日本人女性に知ってもらおうと、社内外問わず、経験を活かした情報発信を続けています。

1年半だけでの予定で入社
新規事業にたった一人で挑戦

 もともとビジネスの世界に入るつもりは、ありませんでした。大学の文学部を卒業し、社会科の教員になることを目指していました。就職前に自分磨きをしようと、中国の大学に留学。以前から興味があった寺院や仏教美術を見てまわりながら、中国語を習得しました。シルクロードにも訪れるなど、時間を過ごしているうちに、教員採用試験の日が過ぎていることに気が付いたのです。親には公務員になるようずっと言われていましたし、とにかく途方にくれました。
 まずは帰国して、次年度の採用試験に合格するまで働くことを決意。そのとき、地元に中国とのビジネスを始めようとしている企業があると知ります。それが森松工業でした。中国語を話せる人を探しているということで、現会長の面接を受け採用。1987年に入社し、貿易を担う子会社アムト株式会社の立ち上げをたった一人で任されます。中国からモノを仕入れて日本で販売し、将来的には森松工業のタンクを中国で売れるようにということでした。「先輩はいない。自分で勉強してやってくれ」と会長に言われたのです。貿易部門の新規立ち上げには、商社を定年退職した人を雇用するのが一般的です。しかし会長は「それでは国際経験を積む社員が育たないし成長もない。リスクは減るが利益も減る」と説き、社員自ら考え行動する力をつけてほしいと、利益確保には何十年もかかるであろう事業に向けて背中を押してくれたのです。

逃げ出したくなるような毎日
そのなかで見出した新規事業

 「先輩がいないのなら」と気楽に始めた中国でのビジネスでしたが、とにかく苦労が絶えませんでした。森松工業とは関係のない、シルク、工具など新しい分野の商品を扱っていたので、顧客の開拓もしました。当時の中国製品は、とにかく品質が悪く、納期も守られません。100パーセント不良品ということもよくありました。溶接割れや寸法のずれなんて、頻発。当時の中国には外貨が不足していましたから、不良品の保証は物々交換でした。それで得た赤貝を岐阜の卸売市場で売ったこともあります。特許や合弁相手との問題など、一つ解決すると10の問題が発生する。そんな日々でした。マーケティングもなにも知らずに中国に行き、毎日がOJT。やることやること失敗だらけ、なんで中国にきてしまったのかと悩んだときもありました。
 ただ、悪いことばかりではなかったのです。世界のグローバル企業が中国国内に工場をつくる流れがあり、森松工業のタンクに目をつけてくれました。当時は水やお湯を貯める建築業界向けのタンクを作っていました。高度な技術に挑戦し続け、石油、製薬、化学業界など、あらゆる業種の企業に対し、コアの設備を製造販売できるようになりました。そうこうしているうちに、30年の歳月が過ぎていました。現地で人を採用していましたから、辞めるわけにはいかないという責任感と、このまま結果を残さず辞めたくない、少しでもいい状態にしてから...、という思いもありました。現在は森松工業の取締役のほか、海外子会社の取締役も兼任しています。

あらゆる国を見て感じた
世界の女性のたくましさ

 上海森松を立ち上げ、グローバル企業との取引に成功。アメリカ、ヨーロッパやアジアにも事業を拡大していきました。会長の考えに、国籍、性別、年齢、経歴にはまったくこだわらず、有能な人材を採用・教育するというものがあります。上海森松ではトップマネジャーの30パーセントが女性です。私は、日本の職場を経験せず海外に出ました。中国では女性は出産後すぐ職場に復帰するのが一般的で、男性が家事をすることに対してなんの抵抗もありません。ほかの多くのアジア各国も同様で、グループ企業でも多くの女性社員が活躍しています。日本に戻り、女性がいまだに活躍できていない現状を知ったときは、衝撃を覚えました。人それぞれの環境や条件もありますが、結婚・出産を機に仕事を辞めてしまうと生涯で手にする賃金に億単位の差が出ます。子育ての数年間をなんとか工夫することで、仕事を続けるという選択肢ももってほしいと願っています。私にとってのロールモデルは上海森松の女性社員たちです。子育てに対しても仕事に対しても、非常にチャレンジングです。

日本女性にもっと活躍してほしい
経験をもとに思いを発信

 2010年に岐阜県で開かれたAPEC女性企業家サミットでパネリストを務めた際、日本の女性が企業で活躍しきれていない現状を見ました。それがあって、社内だけでなく大学や企業から依頼があれば講演を受けて女性活躍支援についてお話ししています。そこで海外の女性の働き方や女性の就業率、管理職比率などを発信し、まずは日本の女性が置かれている立場の現状や、女性の潜在能力の大きさを広く知ってもらうことをしています。これから働く人、いま結婚や出産を控えている人は家族や親、公的サービスはフル活用してほしい。制度を知って、それを使い切り、自分の力も磨いてほしいです。
 上海森松の忘年会がきっかけで始めたフラメンコや、一度挑戦してみたかった空中ブランコなど、プライベートでもいろんなことにチャレンジしています。楽しみながら仕事も頑張る。そんな人がどんどん増えてほしい。将来は働くお母さんたちをサポートできる寺子屋や子ども食堂のようなものを開きたいなと考えています。女性が羽ばたけるよう、環境整備を続けていきたいです。