岐阜で活躍する女性の紹介
〜岐阜で活躍する女性からあなたへのメッセージ〜

会社経営やボランティア活動と
並行して夢の宅老所を開設
自分の年齢を忘れるくらい
毎日忙しく飛びまわっています


憩の家サロンフラワー代表・可児市ボランティア連絡協議会会長・信和工業株式会社取締役会長
小西澄子(こにし すみこ)さん(可児市)

【2018年4月23日更新】

平成12年、小西澄子さんが59歳の時にご主人が他界し、信和工業株式会社の代表を継ぐことになりました。長年の夢だった宅老所を開設したのは、63歳の時。現在は、会社経営と宅老所運営のほか、岐阜県内や可児市内のさまざまな女性会とボランティア団体にかかわって地域交流を深めながら、大忙しの毎日を送っています。福祉活動の後継者の育成にも努めている小西さん。出会う人に感動して学ぼうとする姿勢をもち続け、活発に活動しています。

家族で可児市に移り住む
夫の他界で会社の経営者に

 高度経済成長期にあった昭和45年、大阪府大阪市から愛知県小牧市に移転し、夫が塗装設備を中心とした機械製作と施工をする信和工業を創立しました。納入先は自動車や住宅、電機関連メーカーなどです。
 会社は昭和60年に可児市へ移転し、2年後に法人化して信和工業株式会社となりました。平成2年に同市で工場を新設し、事業を拡大していきました。自宅は、昭和48年から多治見市へ移していましたが、平成8年に可児市へ転居しました。
 平成12年、夫が病気で突然亡くなり、「受注した仕事を未完成のまま放り出すわけにはいかない」と、私が社長職に就いて会社を存続することになりました。
 平成15~20年頃が一番苦しい時代でしたが、夫が築いた取引先との関係が強固であったことと、従業員の協力、そして夫と一緒に私も事業に携わってきたことが幸いし、取引業者とのつながりは絶たれませんでした。現在は会社経営と並行して、約20年前から関心をもっていた福祉活動にも励んでいます。

自分がお世話になる前に
一念発起して宅老所を開設

 福祉活動に関心を持ったきっかけは、20年程前に見たあるテレビ番組でした。自宅を開放して宿泊型グループホームを作った人を紹介していたのです。その人は難問を解決できずに運営に失敗してしまいました。その時、私は55歳。「宿泊型のグループホームではなく、日帰り型の宅老所を作りたい」と夫に訴えると、「60歳で会社の仕事を引退したら作ればいい」と言ってくれました。
 その言葉を胸に会社経営に励みましたが、私が59歳の時に夫が他界。63歳になった時、「このまま年を取っていくと、いずれは自分がお世話になる側になる。その前に宅老所を作りたい」と一念発起。ボランティアスタッフの協力も得て、平成17年に宅老所「憩の家サロンフラワー(以下「サロン」という。)」を開設しました。その頃、市内にある宅老所は10カ所程でしたが、今では90カ所ぐらいに増えました。
 私たちのサロンは月2回、65歳以上の方々が20人程集まってきます。毎月誕生会を開き、花見やクリスマス会、ひなまつりなど季節ごとの行事を開催。いちご大福作りや手芸、工作にも挑戦しています。高齢者が自宅にこもらず、ワクワクした気持ちで出かけたくなる企画を立案し、認知症や介護予防などにも取り組んでいます。

市内の活動にも参加して
地域とつながり交流を深める

 「助け合いの気持ちで地域の人々の輪と絆を広げよう」と、可児市社会福祉協議会(以下「社協」という。)や、可児市ボランティア連絡協議会(以下「ボ連協」という。)とも連携しています。
 平成27年8月にボ連協が30周年、平成29年9月に社協が法人化40周年を迎え、それぞれ可児市福祉センターにて、「ふくし・ボランティアフェスティバル」を開催しました。
 開催に向けて私たちのサロンの利用者と一緒に制作したパネルを展示し、訪れた人々に施設について紹介しました。また、体験コーナーも開いてチョウチョ作りを講習。たくさんの地域住民とチラシを折り、チョウチョを作りました。
 イベント終了後、ボランティアのスタッフが「駐車場に行くと、通りがかった車に呼び止められ、車から親子が降りてきて、深々と頭を下げてチョウチョ作りのお礼を言われました」と話し、地域交流できたことに感動したという感謝の気持ちを伝えてくれました。その言葉から、人とのつながりの大切さを学びました。
 これからも、イベントなど地域の人々が集まる機会を増やし、高齢者と地域をつなぐ活動に尽力していきたいと思っています。

ボランティア団体の高齢化
後継者に活動を伝えたい

 可児商工会議所や一般社団法人多治見法人会、可児ライオンズクラブなどにもかかわり、75歳となった今でも大忙しの毎日を過ごしています。
 現代詩や小説を書くのが好きで、可児市や多治見市の文芸祭での受賞経験があります。俳句や川柳も大好き。私たちのサロンの利用者とも楽しみながら川柳を作っています。
 現代詩などでは、夫や家族を題材にすることが多くありましたが、平成29年の夏にひ孫が生まれてからは、ひ孫のことを書く日を楽しみにしています。
 今後は、福祉活動の後継者の育成に努めていきたいと思っています。かかわっているボランティア団体の代表やスタッフが高齢化して、若い世代の力が求められています。運営しているサロンのスタッフも例外ではありません。
 高齢社会の日本において、宅老所は高齢者にとって不可欠な場所であり、人生を彩る大切な活動の場でもあります。
 宅老所をオープンしたい方に、開設や運営、活動内容などをレクチャーできればと思っています。これからも、取り組みの輪を広げていきたいです。