岐阜で活躍する女性の紹介
〜岐阜で活躍する女性からあなたへのメッセージ〜

「やってみなはれ」
「やらなわかりまへんで」
その言葉と家族に背を押されて
自分の店という夢を叶えました


たこやきさごう 店主
佐合真理子(さごう まりこ)さん(高山市)

【2018年4月23日更新】

日本三大朝市の一つ、宮川朝市。高山市民の生活を支えるとともに、観光名所の一つとしてにぎわっています。国内外からの注目度も高い朝市で、佐合真理子さんはたこ焼き店を出店。人との出会いを楽しみながら、おいしいたこ焼きを焼き上げています。

祖母の隣で芽生えた夢
いつか自分の店を持ちたい

 宮川朝市は、私にとって子どもの頃から身近な存在でした。実家が農園を経営していて、祖母が宮川朝市で店を出していたのです。私もそんな祖母の隣に立ち、店を手伝っていました。お客さんには常連もいれば、初めての人もいる。楽しく世間話をしながら販売していくのはとても楽しくて、将来は接客の仕事がしたいと思っていたんです。
 そんな夢が膨らんで、いつか自分の店を出したいと考えていました。学校を卒業後、上京してアパレル会社に勤務。仕事を通して、「お客さんとコミュニケーションを取る仕事は楽しい」と改めて実感しました。しかし、結婚して高山に帰郷した後は、しばらく接客とは関わりない生活を送りました。主婦として3人の子どもを育てながら、実家の農園にパートとして勤務。商品準備などの裏方の仕事を担当し、充実した日々を送っていました。しかし、お客さんと直接話す機会はほとんどありませんでした。

両方の特産を生かし
高山市と輪島市の架け橋に

 自分が抱いた夢と離れた生活を送りながらも、「お店を出したい」という思いを持ち続けていました。過去に経験した洋服店にこだわらず、自分にはどんな店ができるのかを考えていましたね。そして、「これだ!」と思ったのがたこ焼き店です。すぐにたこ焼き器やテントなどの用具をそろえたり、宮川朝市の出店条件を確認したりと開店準備に取り掛かりました。
 宮川朝市から出店条件として求められたのは地域性。ちょうど、飛騨高山宮川朝市協同組合と輪島市朝市組合が連携交流協定を結んだこともあり、飛騨高山産のネギと、能登輪島産のタコを使ったコラボ商品を考えました。石川県の能登輪島にも足を運んで、仕入先との関係を構築。宮川朝市からも開店許可を得て、いつでも営業できる段階までスムーズに進行しました。

失敗してもいいと思えた
父の温かな後押し

 夢だった自分の店まで、あと少しというところまで来ていました。しかし、いざはじめようと思うと、なかなか踏ん切りがつきません。自分の店の仕事をしながら、「子育てや家事などと両立できるだろうか。」「やってみたいけれど、無理じゃないか。」そんな風に躊躇してしまったんです。最初は春の高山まつりに合わせた開店を打診されていましたが、決心がつかず、春の大型連休が過ぎ、夏休みと、ズルズルとスタートが延びていきました。
 そんな私の背中を押してくれたのは、父でした。私に持ってきてくれたのは、サントリー創業者・鳥井信治郎さんの口癖を紹介した朝日新聞の「折々のことば」。「やってみなはれ。やらなわかりまへんで」。この言葉が失敗を恐れず、前向きに一歩を踏み出す勇気をくれたんです。やってみないとわからないと決心した私は、平成27年9月に「たこやきさごう」を開店しました。
 以来、この言葉は私の座右の銘になっています。子育てにも活かしていて、子どもたちが何かはじめようとした時に「怖がらずにやってみるといいよ」と言うようになりました。

店を切り盛りする活力源は
客の声と家族のサポート

 店の準備は早朝4時ごろからはじめます。朝は暗くて眠い日もありますが、店でお客さんと話し始めると、途端に元気が出てきます。毎日顔を見せてくれる人がいたり、遠方から「たこやきさごう」を目的に訪ねてくれる人がいたり。そんな人たちとの何気ない会話は本当に楽しいです。
 また、高山には多くの外国人観光客が訪れます。日本語が通じない人ともコミュニケーションを取りたくて、英会話教室に通っています。もともと全く英語が話せなかったのですが、毎日の積み重ねで少しずつコミュニケーションが取れるようになってきています。「やってみなはれ」の精神で、何でも挑戦するようになりました。そんな私を見た子どもたちは、「どんどん元気になって、楽しそうだね」といってくれます。それに、背中を押すように家事をしてくれたり、繁忙時に店を手伝ってくれたりするようになったんです。
 子どもの頃からの夢を、一番に応援しサポートしてくれた夫や子どもたち。家族の理解があってこそ、毎日元気に開店できます。これからも明るく、元気に「たこやきさごう」を続けていきたいです。