岐阜で活躍する女性の紹介
〜岐阜で活躍する女性からあなたへのメッセージ〜

日本人と外国人が
互いに理解し
すべての人にとって
住みよい街にしていきたい


美濃加茂市国際交流協会
久保田義子(くぼた のりこ)さん(美濃加茂市)

【2019年4月22日更新】

ブラジルから祖父母の母国である日本にやってきた久保田義子さん。日本の工場で就労し、日本で結婚、子育てに奮闘。自身の子どもが通う小学校で通訳者としてサポートを始めました。後に市役所に勤務し、子育て世代や外国籍家庭に向けたサポートを続けています。

家族とともに来日
就職、結婚を経て通訳として活躍

 私は日系3世としてサンパウロで生まれ、高校生まで過ごしました。同居していた祖父は「日本人としての誇りを持ちなさい」「日本人として恥ずることをするな」と口癖のように言っていました。そんな祖父の希望もあり、家族全員で日本にやってきたのが1990年です。当時、私は15歳。ブラジルでは家の中(家族間)で日本語、友達や学校ではポルトガル語で生活していたので、日本語は年齢が上がって行くうちに使わなくなりました。親や祖父母と話すことも少なくなり、聞き取りはできても上手く話せませんでした。それでも、ブラジルで日本の歌をカラオケで歌ったり、日本のドラマを見たりしていたので日本語には親しみがありました。
 日本では自動車の部品をつくる工場で勤務しました。その後、結婚し、4人の男の子を出産。子育てに専念してきましたが、長男が小学3年生のとき学校で国際理解教育が始まり、子育ても一段落し自分の時間ができたことでボランティアとして通訳の仕事をスタート。学校が児童や保護者に対して通訳できる人材を探していることを知り、翌年からは週に3日、子どもと保護者の通訳を始めました。学校ではブラジルの文化や遊び、料理なども紹介していました。通訳をはじめたとき、美濃加茂国際交流協会に入って活動をスタートしました。

通訳としての仕事が充実
自分でも勉強を重ねる日々

 子ども達が小学校、幼稚園に通っている間、小学校でふれあい先生として活動しました。児童に紹介するブラジル料理のレシピは、一度自宅で作って翻訳作業やレシピの作成も自宅でしていました。小さな子どもがいる家での仕事はとても大変でした。実はブラジルではほとんど日本食を食べていたので、ブラジル料理の知識があまりなく、レシピ作成には苦労しました。
 協会に入って2年目に、市役所の国際交流員として働くようになりました。そこで知ったのが、行政の情報が外国人に届いていないということです。外国人が日本で暮らすための勉強会を開いても、人がなかなか集まりませんでした。いかに魅力的にイベントの情報を届けるか、そして実際に足を運んでもらうにはどうしたら良いか考えました。当時、申し込みをしたイベントに、確実に参加するブラジル人は少数でした。「忘れていた」「ほかに用事ができた」といって連絡なしでキャンセルする人が多かったですね。改善するのに10年かかりました。地道に連絡をして、「行きたい!」と思える内容を勉強して開催を重ねてきました。

自分にとって大切な情報が
他の人にも必要と知り積極的に活動

 市役所で通訳の仕事をしていた時に4人目の子を妊娠、出産。14年ぶりに改めて子育てをしていると、1人目の子育てで抱いていた孤独感を思い出しました。頑張っているのに家はぐちゃぐちゃだし、何もしていないように感じたんです。この状況を共感してくれる友達はいませんでした。そこで「母親たちのグループをつくろう!」と思い、市の行事として母親の集まりを計画し、市役所の窓口で知り合った他の母親と悩みや保育情報を共有することにしました。SNSを使って情報を交換したり、イベントの案内や子育てや日本での暮らしについての悩みの共有もしました。「いいね」を押してもらえると、「興味ある人いるんだ!」と知ることができ、良かったです。コメント欄で情報発信のお手伝いのお願いをしたりイベントに誘ったりして、仲間を増やしていきました。
 そのなかで知り合った「みのかもファーマーズ倶楽部」の皆さんは、毎年行っている収穫祭などのイベントに外国籍の人が参加できるように協力してくれました。参加者の一人が「私が初めて日本人に受け入れられたと感じた」と話していたのを覚えています。みのかもファーマーズ倶楽部のように、互いに理解して活動してくれる日本人がいるということを、もっと外国籍の人に知ってもらいたいです。

地域の日本人と積極的に交流して
多文化共生を根付かせていきたい

 4人の子どもを育て、入学から受験まで、いろいろ経験しました。失敗もいっぱいあります。そういった経験を、外国籍の人たちに伝えていきたいです。ブラジルという国は、多民族国家です。日本のように、一つの民族ではできていませんので「違うのが当たり前」という文化です。料理はそれを理解するためのツールだと思うので、今後も料理を通じてブラジル文化をどのように伝えるか模索していきます。
 入学式やお葬式など、日本の文化やしきたりを外国籍の人に伝えていくのも大切です。例えば葬儀に、靴や靴下まで黒色で参列するというのは、まだまだ知らなれていない情報です。葬儀会社から人を呼んで講座を開いてもらったりしました。外国籍の人にとって必要なのは生活に密着した情報です。今後も日本人も外国人の良さや互いの背景を理解しあえるように活動し続けます。