岐阜で活躍する女性の紹介
〜岐阜で活躍する女性からあなたへのメッセージ〜

困難や苦労に直面しても
仕事への熱意が自分を奮い立たせる
従業員の働きやすい環境を大切に
お客様のためにより良い製品を


株式会社フジイ 代表取締役
金森薫(かなもり かおる)さん(美濃加茂市)

【2019年5月17日更新】

制御盤やケーブルハーネスの設計・製作など産業機械に携わる、株式会社フジイ。代表取締役の金森薫さんが30代で立ち上げ、2017年に創業20年を迎えました。創業時の従業員は3人。寝る間も惜しんで仕事に没頭し、現在では従業員数30人を超えるほどに成長しました。

夢を追いかけ経営の道へ
会社に身を捧げた20年

 家族を持った後、産業機械関連の会社に勤めたことが起業のきっかけでした。はじめは製造現場への配属でしたが、次第に営業や品質管理、総務など業務の幅が広がり、従業員を束ねる立場に。すると自分の中で起業への思いが強くなり、30代で必ず独立すると決意しました。
 働きながら、起業の準備をして約半年。8年勤務していた会社に思いを伝え、後進を育てた後に退社しました。創業時、従業員は妹と知人の3人で、可児市で小さなプレハブを社屋に構え、平成9年に「フジイエンジニアリング」をスタートさせました。従業員が少ないため、製造はもちろん、営業、納品、事務、経理など、一人で何役もこなさなければなりませんでしたが、好きで始めた仕事なので、寝る間も惜しんで人の何倍も働きました。
 振り返れば、1日24時間では足りないほど多忙な日々。小さなプレハブ社屋でしたが、夢が叶って一国一城の主になり、仕事に夢中になっていました。納期厳守はもちろん、短納期の対応と品質向上に努め、借金をして購入したトラックで一生懸命作った製品を運ぶ毎日でした。「まごころ込めて仕事をする」をモットーに、お客様と長く付き合えるよう奔走する日々を過ごしていました。
 当時、子どもはまだ小学生。朝は学校へ送り出してから出社します。出社後は取引先を走り回り、夕方に一度帰宅して子どもたちと夕食をすませ、その後すぐに会社へ戻るなど、目まぐるしい生活を続けていました。何度も体を壊しましたが、それでも辞めようと思ったことは一度もありません。お客様の信頼を得るにつれ、多くのやりがいを持てるようになったからです。職場や家族はもちろん、大切なお客様から頼られると、それが力になって頑張り続けることができ、気付いたら起業から20年が経っていたんです。

身を粉にして働き、体は限界に
父の死をきっかけに自身を見直す

 創業時は、金銭面と人材不足で困難の連続。倉庫の購入資金がなく、銀行に融資を申し出ても断られたこともありました。そんな苦労や悔しさもバネに、いつか見返してみせると力に変えていました。
 10年経った頃、事業も軌道に乗り従業員が増えてきましたが、それでも社長室は作らず、いつも現場に出ていました。営業・製造・指揮・納品などすべてを一人でこなし、傍らでは母親業も担いました。もともと胃腸が弱く、過労で体調を崩すこともありましたが、とうとう体が限界を超え、倒れてしまいました。入院後、体はすぐに回復しましたが精神的には辛く、声が出なくなるストレス性の発声障がいを併発。入院をしても治らず、半年間は筆談で生活しました。
 拡声器とメモを片手に現場復帰しましたが、出せない声と戦ったとても辛い時期でした。思えば、焦りや不安がますますストレスになっていたように感じます。幸いにも温かい周囲に恵まれ、助けられ、支えられ、そして何より頼もしい仲間に救われました。
 同じ頃、最愛の父が病気で亡くなりました。それまでは「仕事を辞めたら生活ができない」「なんで私だけ声が出ないのか」と焦っていましたが、悲しみの中で「乗り越えられない試練は絶対ない」と、現状を受け入れ、割り切ることができました。すると不思議と声が出せるようになったんです。きっと頑張ってきた私に、父からの最後のプレゼントだったんだと思います。今では父が自分の命と引き換えに助けてくれたのかなと感じています。

より良い製品を生み出すには
関わる人の意欲と誠実さが大切

 母が一人になったこともあり、本社を可児市から美濃加茂市に移転。2012年に法人化し株式会社フジイを設立しました。それでもいち作業員でいたいという姿勢に変わりはありません。現在に至るまで社長室は作らず、いつも現場に出ています。朝、従業員の顔を見れば心や体の変化、現場の雰囲気もすぐに分かります。絶えず現場に出て、従業員とともに汗をかきながら、生涯現役でいたいと思っています。
 弊社は、電気回路図を読んで製品を作り上げていく、堅苦しい要素が多い仕事。しかし、重要なのは柔軟な発想「柔らかい人の心」です。自分勝手なことをしたり、誰かが手を抜いたりすればミスが出て、お客様に迷惑が掛かります。また、嫌々作業すれば、いい物は作れません。一人ひとりの自覚や責任、誠実さはとても大切で、意欲に満ちて作業すれば楽しく、気持ちよく働け、いい製品ができます。会社にとって、人は財産で命です。
 感謝の気持ちを表す「ありがとう」の言葉はすべてのパワーの源。一緒に悩み、苦しみ、汗をかき、そして喜びと達成感を味わえる。そんな生き生きとした職場でありたいと思っています。いつも人にも物にも思いやりの心を持って仕事に向き合えば、目には見えない大切なものを製品に添えられます。納品先にも、またその先にも人がいます。心は通うものです。

従業員の暮らしを守りながら
社会に貢献する生き様を目指して

 現在、従業員は30人余り。仕事と家庭を両立させる多くの女性がいます。その就業時間も不規則です。さらに異なる取引先の依頼を同時進行しているため、工程をしっかり各自で管理。調整しながら逆算して、複数を段取りするのは家事や育児に似ているところもあり、現場では多くの女性がリーダーとして活躍。とても頼りがいがあり、助かっています。
 2年前からは誕生日に有給取得できるバースデー休暇を導入しました。日ごろ頑張ってもらっている従業員に自分へのご褒美でリフレッシュをしてもらいたいと考えました。また月2回、少しだけ早く仕事を終わる制度を導入するなど、従業員には日々を充実させ、気持ちよく仕事に取り組める仕組み作りを行い、やりがいを持って仕事に臨んでもらえたらと思っています。
 今後の夢はふたつ。1つ目はカフェ(社員食堂)を作ることです。多忙な生活を送ってきたので、自分や大切な従業員も含めいろんな方の心がほっこりする空間を生み出したいと思っています。
 2つ目は子ども食堂。家族で食事をとることができない孤食の子どもや、十分な量の食事を用意してもらえない子どもを1人でも減らしたいんです。きっかけは子どもの貧困について取り上げた新聞記事。私にとって衝撃的で、すぐに美濃加茂市役所へ問い合わせ、社会福祉協議会を紹介してもらいました。その後、相談を重ね、美濃加茂市社会福祉の子ども食堂に微力ながら協力させてもらうことに。ボランティアの方は集まった食材でいろいろと工夫して温かい料理を作ってくださり、子どもたちに提供しています。
 大勢で温かい料理を食べている時、集まった子どもたちは自然と笑顔になります。その笑顔を眺めていると「働く意義とは、地域への貢献、お世話になった地元への恩返し」と感じます。私たちが作る物も世の中のためになっていて、社会貢献の一環と確信していますが、自分の生き様でも、諦めない心と思いやりの心を持って、少しでも社会貢献したいと思っています。
 目に見えない感謝の思いを伝える「ありがとう」という言葉は、私の心の核。それを言える、また言われる自分であり続けたいと思っています。最後に何の取柄もない普通の女性である私を支えてくださる、すべての人に心から感謝します。