岐阜で活躍する女性の紹介
〜岐阜で活躍する女性からあなたへのメッセージ〜

一枚一枚に思いを込めて
独自の染色技術を確立
地域の伝統文化にも着目し
染色作家としてさらなる活躍を


河村尚江デザイン事務所 代表
河村尚江(かわむら なおえ)さん(岐阜市)

【2019年6月24日更新】

染色作家として広く活躍する河村尚江さん。日本のみならず、アメリカやヨーロッパなど各地の展覧会に出展し、ダイナミックでありながら繊細な染色技術が好評を得ています。幅広い芸術分野に携わりながら、岐阜の伝統文化にも着目し、「美濃友禅」を立ち上げました。

感性に従い描き続けた幼少期
美術に没頭した高校時代

 物心ついた頃から絵を描いていました。母が言うには、風景や人物の絵を1日に何枚も藁半紙に鉛筆で描いていたようです。覚えているのは幼稚園の頃。童話「ハーメルンの笛吹き男」をイメージして絵を描く宿題が出されたんです。その時、私は筆を使って人物の輪郭を描き、絵を描くことの楽しさに夢中になったことを覚えています。小学生になると漫画家やデザイナーになりたいと思うようになりましたが、中学生で「絵の道は難しい」と感じ、一度は夢を諦めました。しかし、高校受験の間際になって「やっぱり絵を学びたい」と強く思うように。グラフィックデザインを学ぶため、岐阜県立加納高等学校の美術科に進学しました。
 高校生活は絵に没頭する毎日。美術科は1日の時間割に2時限、美術の授業が組み込まれます。ほかにも、朝7時には登校して自主的にデッサン。授業後も暗くなるまでデッサンをしていました。厳しい学科で、描き終わると講評会をします。順位をつけられ、時には先生から鋭い指摘を受けることもありました。しかし、多くの作品を見て講評することにより観察力が身につき、精神力も鍛えられました。
 夏期講習では約1カ月、親戚の家に下宿しながら東京の立川美術学院で学びました。必死で描いた絵を批判される時も多く、絵を描くことが嫌いになった時期もありました。それでも評価されると嬉しく、全国で通用する力が身につきました。振り返れば本当に素晴らしい高校で、私の原点といっても過言ではありません。

師に出会い、染色の道へ
芸術家としての志を学んで

 大学受験が迫ると、先生から「花絵に力がある」と助言をいただきました。意識していませんでしたが、思えば花絵の講評会では上位。そこで花絵を中心に学べる多摩美術大学デザイン科染色デザイン専攻を受験しました。当時は染色よりグラフィックデザインを学びたかったのですが、いつか戻ればいいとも思っていました。そして無事に合格し、染色の道に進みました。
 上京し、大学ではさらに絵に没頭する日々。そこで出会ったのが、私が師と仰ぐ堀友三郎教授でした。染色作家の堀教授は、いつも授業で「毎日1枚、花のデッサンをしなさい。その志が実を結ぶ」と言われていました。堀教授の芸術に対する思いは熱く、「日本のために自分は何ができるのか」と考え、「絵によって人々を勇気づけたい。人のために描くのだ」と話していました。そのような信念に私は大きく影響を受け、心から尊敬しました。
 大学4年になると堀教授から「深く学べば染色が分かる」と大学院をすすめられました。大学2年生頃まではグラフィックデザインを学び直したいと思っていましたが、4年生になると染色の道に進みたいと思うように。染色の澄んだ透明感や色が重なり合うグラデーション。5メートルの作品にも挑めるダイナミックな表現。その大きなスケールに惹かれていました。


自身の染色技法を確立
活躍の場を広げて独立

 自身初の染色作品「陽炎(かげろう)」は、卒業制作で手がけました。長さ3メートルの5枚から成るもので、構想期間を含め半年で制作。暗闇を照らす炎に魅了され、太陽や生命、人の情熱や魂を表現しました。
「陽炎(かげろう)」は、大学の卒業制作展で上位となり、シアトルで展示されることに。私も現地へ赴き、直接、鑑賞者から感想をいただきました。展示された作品を目にし、達成感。自分では作品を客観視できないので、鑑賞者の笑顔を見るとやりがいや充実感を得られました。
 染色には多数の技法があります。生地に線で枠取りをして中を塗る「友禅染め」の染色技法は、京友禅で広く知られています。一方、枠取りをせず型を用いて柄やフォルムを染める技法が「型染め」。堀教授は二つの技法を併用しており、私も倣って幅広い染色技術で作品を手がけています。ほかにも生地全体にグラデーションをかけるのが私の特徴。大きな作品だとグラデーションの重なりに圧倒され、美しさに魅了されます。
 大学院の修了と同時に、知り合いからデザイナーとして独立しないかと声をかけられました。自分への挑戦という気持ちで、東京と岐阜にデザイン事務所を設立。グラフィックデザインから離れて10年、再びデザイン業界に戻ることになりました。
 大学院修了後は東京と自宅の岐阜を行ったり来たりして、仕事に没頭。技術を要求され、グラフィックデザイナーとして大きく成長した時期でした。染色作家としても活動は続け、展覧会の作品を制作。お客様の希望を形にする芸術は、デザイン。アーティストとしての自己表現は、染色。しっかりと区別をつけ、それぞれの活動に情熱を注いでいます。

地元の伝統文化を活性化
出会いを大切に、作品を手がける

 現在、染色作家とデザイナーの活動は半々。染色では着物の帯やストール、タペストリーの制作が中心です。ロックミュージシャンやクラシック奏者のステージ衣装を手がけることも多く、幅広い場で作品に親しんでいただいています。
 2016年、「美濃友禅」を作りました。岐阜の伝統文化の活性を願って「美濃友禅」と名付け、商標登録。友禅染めや型染めなど染色技法を融合した岐阜の染色作品が「美濃友禅」です。岐阜県産業経済振興センターで事業可能性評価「A」認定を受けました。今は新たな文化でも、100年後には地域を代表する伝統として認知させることが目標です。
 また、東京五輪で世界約200カ国をイメージした着物が披露されますが、その1カ国の着物制作の依頼を受けました。大手企業への依頼が多数あるなか、個人の染色作家に依頼されるケースは珍しく、とても光栄な気持ち。ヨーロッパのコソボ共和国を担当させていただくことになり、2018年にはコソボ共和国の大使館へ足を運びました。文化や景観、衣食住などコソボ共和国の魅力を表現した振袖になると思います。また、これを機にヨーロッパと日本の友好を築く一翼になれたらとも思っています。
 ひとりで作っていても、作品の行き場はありません。たくさんの人との出会いがあり、作品は活かされます。人との出会い、ご縁がすべて。作品が発するエネルギーを感じていただけるよう、祈りながら一枚一枚を手がけています。