岐阜で活躍する女性の紹介
〜岐阜で活躍する女性からあなたへのメッセージ〜

陶芸に出会い、
清見町に移住して、37年
日々の中で見つける
「やさしさ」を原動力に


飛山窯 主宰
長井惠子(ながい けいこ)さん(高山市)

【2017年3月 3日更新】

長井惠子さんは20代で清見町に移住。「飛山窯」を築き、精力的に作陶に励んできました。草木や花など、飛騨の自然をモチーフとした作品には、優しく温かな長井さんの人柄が映し出されているようです。作家活動のほか、地元で陶芸教室の講師を務め、さらにボランティアで食事の無料ケータリングなどを積極的に行う長井さんは、「優しい気持ちに出会えると、うれしい」と微笑む笑顔が印象的な女性です。

生き方を模索した日々を経て
「度量の深い」陶芸に出会う

 就職を機に北海道から上京し、広告代理店に入社しました。広告の仕事で最も大切なのは、消費者の購買意欲を掻き立てること。資本主義的な考え方に違和感を持ち、働きながらも「私は会社勤めだけで生涯を終えられないなぁ」と、他の生き方を模索していました。手に職をつけたいと、さまざまな習い事にチャレンジ。彫金や絵、語学、裁縫などを習いましたが、不器用がゆえ、どれもしっくりきませんでした。そんな中、23歳の頃に出会ったのが、陶芸でした。布や紙は切り刻んでしまうとやり直しができませんが、粘土は失敗しても、形を崩してまた作り直すことができます。陶芸の魅力は、素材が作り手を「責めない」こと。そんな度量の深さに惹かれました。自分が不器用だからこそ、陶芸が合ったと思います。

地域の人々に支えられて
自然豊かな清見町で作陶を

 「自然の中で暮らしたい」という夫と私の意向で、長女の出産を機に清見町へ移住。「清見町になら空き家がある」と陶芸仲間が教えてくれたことがきっかけでした。
 引っ越したのは12月。たどり着いたのは、寝室に雪が吹き込むような、あばら小屋でした。見ず知らずの土地に無計画で飛び込むなんて、怖いもの知らずでしたね。
 スコップの使い方も、釘の打ち方もわからないような二人でしたから、近所の人にとても可愛がっていただきました。家にやってきて「手伝うことない?」と、みなさん声をかけてくれるんです。子どもの手が凍傷になりかけたときは、あわてて隣家へ駆け込んだことも。「急に温めてはいけない。ゆっくりさするんだよ」ってアドバイスをいただきました。
 夫と築いた飛山窯で、現在娘2人とともに活動中。使いやすい食器や、出会えてよかったなと思ってもらえるような器を心がけて制作しています。作陶活動のほか、9年前からは高山市勤労青少年ホームで陶芸教室を開催。「青少年」という言葉に惹かれ、簡単な気持ちで依頼を引き受けましたが、いろいろな人と出会えてとても楽しいです。血のつながりがない「娘」や「息子」ができたようで、幸せに思います。

岐阜県手話通訳者の資格を取得
相手に寄り添った通訳を

 幼少期に難聴を患ったことから、岐阜県の手話通訳者の資格を取得しました。筆記・実技の試験はとても難しく、体調を崩すほど勉強に励みました。岐阜県内で、主に舞台や講演会の通訳を担当。スキーや野球などスポーツの大会にも通訳者として足を運んだことがあります。
 聞こえないことの辛さは自身の経験から痛いほどわかります。難聴の人は、聞きやすい音の大きさが人それぞれで異なり、大きな声で話せばいいとは限りません。大きな声で怒鳴るように話すと、怒られていると勘違いしてしまうことも。耳のそばまで近づいて普通の声で話かけるのが一番良いのです。

「おいしい」「ありがとう」
食を通して、優しさに出会う

 幼少期から差別や貧困の問題にずっと関心がありました。現代の日本にもさまざまな事情を抱えた人がおり、そんな方々の力になりたいと日々願いながら、活動しています。
 もうひとつのライフワークは、「食」。福祉施設の立ち上げに関わったことを機に、病後まもない方や体調不良で食事の準備が難しい方へ食事を届けています。食事を召し上がる方の体調を考えながら、家で育てた野菜を使って、献立を考えています。ケータリングの他にも、自宅へ来た方に食事を提供したり遠方に住む方に食料を送る「無料八百屋」をしたりしています。
 無料で食事や食料をお渡しすると、「代金を払います」といってくださる方がいらっしゃいますが、とんでもない。無料だから、肩肘張らずに楽しく続けられるんです。お金をいただくよりも、「おいしかった」「ありがとう」の笑顔がうれしい。「ありがとう。◎◎にもおすそ分けします」といった、優しさに出会うと心が温かくなり、私の方こそ「ありがとう」と思えます。