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株式会社シラカワ
製造1課班長
KHAMHAN NIRASEK(カムハーン ニラセック)さん(白川町)
1カ月の育休を利用してタイに帰国。
産後の妻が少しでも休めるよう、
積極的に子どもと
スキンシップを交わしました。
主に自動車用金属部品の加工を請け負う株式会社シラカワ。同社のように、製造関係の企業は外国人就労者を多く受け入れています。もちろん彼らにも産休や育休の取得が認められており、シラカワでは制度の活用事例が複数あるとのこと。今回紹介する、タイ国籍のKHAMHAN NIRASEK(カムハーン ニラセック)さんは、同僚だった女性と結婚。妻の出産に合わせて1カ月の育休を取得しました。
日本で稼ぐ
故郷は、タイの東北部にあるナコーンパノム県です。ベトナムからの移民が多いことから、普段の暮らしでは両国のカルチャーが入り混じっている様子をうかがうことができます。この県内にある中流階級の家庭に生まれ、毎日外で遊ぶなど活発な幼少期を過ごしていました。
日本で働こうと思ったのは、自分の家族の生活維持と両親の世話をするため。それにはやはり多くのお金が必要です。先進国の日本はタイよりも給与が高いので、技能実習生制度を利用して働けば、タイで働くよりもしっかりお金を稼ぐことができると思いました。
日本に行くには、渡航費や当面の生活費、日本語学校の授業料などを用意しなければなりません。これらを合算するとかなりの金額で、工面するのが大変でした。また、日本は規則正しく振る舞う人が多い国だと聞いていたので、そういった慣習に自分がうまく馴染めるかどうか不安でした。
現在、班長として活躍
日本語学校で株式会社シラカワの合同説明会があり、すでにタイの技能実習生を受け入れている実績を持つ企業であることに安心して、2015年に入社しました。日本語学校で語学を学んだとはいえ、初年度はコミュニケーションを取ることにひと苦労。また、機械に触れるのも初めてだったので、操作方法を覚えるのにも必死でした。また、仕事の流れなども覚えなければなりません。説明を受けている時にメモを残し、あとで見返して懸命に覚える努力を重ねました。
機械オペレーターの仕事を3年ほど務めると、型替えなど、ほかの業務も次第に担当させてもらえるようになりました。今では製造1課班長というポジションを与えてもらい、メンバーの進捗を管理したり、機械の稼働率を増やしながら不良を減らすといったことにも取り組んでいます。
育休を1カ月間取得
同僚だった妻とは、2021年に結婚。日本では、祖国が同じ技能実習生同士が結婚しても、一緒に住めないという制約を設けている会社が多いと聞いていました。実際、友人夫婦は、同じ会社で働いていても、それぞれが別のアパートで暮らしています。でも、シラカワはそうではありません。妻が出産で帰国するまで私たちは一緒のアパートで暮らすことができました。
妻の妊娠がわかったのは、2022年10月。私たちは日本かタイのどちらで出産するか迷いました。タイで暮らす家族にも相談し、最終的にタイで出産することに。その理由は、産後は何かと大変なことが多く、いろいろ助けが借りられ、コミュニケーションが取りやすい人が身近にいる環境に身を置いた方が母子にとっていいと判断したからです。
出産準備のため妻が帰国し、私は日本で働く日々。もちろんお互い寂しい思いをしました。そんな中でも、毎日電話をして妻の体調を気遣いました。そして、会社から男性も育児休業がもらえるという話を聞き2023年2月に申請しました。その年の8月8日から9月13日までの約1カ月間タイで過ごしました。
出産をがんばってくれた妻と、「はじめまして!」の我が子の顔を見た時は、本当に嬉しかったです。妻も初めての育児で心と体を落ち着かせる時間が必要だと思いました。子どもと一緒にシャワーに入ったりして積極的にスキンシップをとり、その間妻には休んでもらうようにしました。
将来は家族で母国に
約1カ月の育児休業を終えて、私は日本へ。いつも通りの日常に戻りましたが、やはり妻と子どものことが頭に浮かびます。離れて暮らしているうちは、育児に参加することが困難ですが、出産準備の時と同じように、毎日電話をして妻の話を聞いています。
また、子どもと対面してからは、「がんばらなくては」という前向きな気持ちがいっそう強くなりました。この先、子どもには大学に進学してもらいたいので、そのための学費を蓄えなければなりません。妻は2024年11月に日本へ戻る予定ですが、その前に私はもう一度タイに行きます。将来的には、家族揃ってタイで暮らせるよう日本でたくさんお金を稼ぎたいです。