イクメン・イクボスページ

社会福祉法人 大垣市社会福祉事業団 大垣市くすのき苑おおがきしくすのきえん
安田 遼太郎(やすだ りょうたろう)さん(大垣市)

【2025年10月 3日時点】

イクメンという言葉を無くすため
みんなの意識を変えるため
まず自分から飛び込んで
後に続く人の道を拓きます


JR大垣駅から南へ車で15分ほど走ると、市街地を抜け水田の中に住宅や店舗、公園が点在する静かな田園地帯が広がります。そんな場所に建つ「大垣市くすのき苑」は大垣市の社会福祉法人大垣市社会福祉事業団が経営している特別養護老人ホームです。その施設に勤務する安田遼太郎さんは、職場の労働環境改善や男性の育児参加を推進する行動計画委員として積極的に活動しています。

小さい頃からずっと知っていた
 私は今、社会福祉法人大垣市社会福祉事業団の特別養護老人ホーム「大垣市くすのき苑」に勤務しています。仕事は入居者している方々の日常生活全般のお手伝いで、食事や入浴などの介助や健康管理、レクリエーションの企画運営などですが、私は介護や福祉の学校を出た訳ではなく、資格も経験も無い状態から仕事を始めました。
 私の母が「くすのき苑」に勤めていたため、ここへは小さい頃から何度も来ていました。小学生の時には子ども新聞の記者として「くすのき苑」を取材、中学校の職場体験も「くすのき苑」でしたし、高校は「くすのき苑」の近くだったので、帰りに寄って母の車で帰宅する事もありました。

縁あって母と同じ職場へ
高校卒業後は広島県の大学の文学部に進学しました。私が1年生のある日、母の実家が広島だったので母方の祖父母が大学に来たのですが、その時、祖母が転倒して骨折してしまいました。高齢のため入院生活が長引き、その間に認知症を発症しました。大学が休みの日は時々祖父母の家へ行き、祖母を介護する祖父のお手伝いをしたり祖母の話し相手をしたりましたが、その間も認知症はどんどん進行しました。そして私が卒業する年に祖母は亡くなりました。
就職活動をしていた私に、母から大垣市社会福祉事業団の求人が出ていると連絡が入りました。大学時代に祖母のお世話を続けていたので、専攻とはまるで違いますが介護の仕事にも関心を持っていました。子どもの頃から縁があって施設の様子や仕事の内容も見ていたので、知識も資格もありませんでしたが思い切って応募し、ありがたい事に採用をいただく事が出来ました。
 最初の4年間は障がい者支援施設「柿の木荘」に、5年目からは「くすのき苑」に勤務しました。経験豊富で有資格者でもある母から教わる事も多く、母が勧める専門書で勉強もしました。実務経験も重ね、介護福祉士の資格も取得して今に至ります。

母も私も最初の開拓者
2年前に行動計画委員に選ばれました。この委員会は職員が各自の能力を充分に発揮し、安心して働ける職場環境を整える事を目的とし、女性の活躍と男性の育児休暇取得にも力を入れています。私自身もちょうど初めての子どもを授かったので、育児・介護休業法の改正で新設された「産後パパ育休(出生時育児休業)」を取得しました。制度利用の推進役として職場の男性を牽引するとともに、実際に制度を体験して検証しようと思ったからでもあります。母が私を生んだ時も育休を取ったのですが、その時も育休取得第1号だったそうで、奇しくも私は産後パパ育休の取得第1号となりました。
 上司からは長く休んでも構わないと言われましたが、まずは妻が退院後の里帰りから戻ってくる日から2週間としました。夜は妻に休んでもらおうと思い、自分は夜間のミルクやオムツ替えを受け持ち、泣き止まない時にはあやしたりもしました。夜間だけでなく日中もお風呂に入れたりご飯を食べさせたりもしています。普段、仕事でやっている事と変わらないと思うので、難しいとか大変だとか感じたことはありませんでした。

道を切り開くために
 他の同僚たちも次々と育休制度を利用してくれるようになってきたので、少なくとも利用しやすい雰囲気は作れたのかなと思っています。それでも女性は全員が取得しているのに男性はまだまだです。自分もそうなのですが他所より職場結婚が多いかなと思っていて、2人が同時に休暇を取る事に罪悪感あるいは抵抗感があるのかなと想像しています。そして職場にそう感じさせる雰囲気があるのなら変えていかなくてはいけません。
 行動計画委員の任期は2年間なので、今春には誰かと交代になります。ちょうど任期末を迎える頃に2人目が生まれるので、最後の仕事として前回より長い休暇を取得して、休んで構わないという空気を作り出そうと思います。