ユネスコの世界無形文化遺産登録で大きな注目を集める美濃和紙。その地元、美濃市の女性ちょうちん職人加納英香さんは、10年前、うだつの上がる町並みで手造らんたんやを始めました。制作から販売までを手がけ、伝統を受け継ぎつつも、女性ならではの感性やネットワークで和紙やちょうちんの可能性を広げようと日々奮闘しています。
ふるさとの文化や家族の背中に導かれ、
生きる道は自然に決まっていった。
実家が美濃市唯一のちょうちん屋なので、美濃和紙や道具類がいつも身近にあって、祖父母や両親がちょうちんづくりをする様子を見て育ちました。でも「この仕事をしなきゃ」という意識はなかったんです。ただ20歳くらいから「父が仕事をやめて、美濃まつりのちょうちんが全部他所のものになったらイヤだな。もし30歳になっても人生が定まってなかったら、やろうかな」と漠然と思っていた気がします。結局その通りになったんですが、大学卒業後は普通に就職して勤めに出ていました。ちょうちんづくりも、ごく軽い気持ちで、ふと「やってみようかな」と。父に言ったら、「やり方知ってるもんな」って、祖父が残した道具一式がポンと渡されて、以来つくり続けることになったんです。
できないことでもやり続けていると、
ある日、成果に気づく。
ものづくりは好きでしたし、以前の仕事は『美濃和紙の里会舘』の手漉き和紙体験指導員。実は昔から和紙好きで、ちょっとしたマニア(笑)。美濃和紙なら、誰が漉いたかまで大体わかります。だから和紙に触れていられるちょうちんづくりは楽しいですよ。でも最初は、わかっていたつもりなのにできないし、父は何も言わないし、ただやり続けて自分で会得するしかありませんでした。父は特に指導してくれないのに、失敗して手を止めて考えていると「つくれ」ってせっつくんです。後になって気づいたんですが、手を動かし続けていると、だんだん失敗が少なくなって、いつの間にかできなかったことができるようになっていました。この仕事は体で覚えるもので、習うより慣れろ。立ち止まらないで、とにかくやり続けることで見えてくるもの、成果が出るものってあるんです。
チャレンジと覚悟と努力が、
素敵な出会いを呼び寄せる。
ちょうちんづくりを始めて2年目の時、実家の店とは別に一人で店を出すことに。観光客や若い人にも美濃和紙製のちょうちんを見てもらいたい、興味を持ってもらえるようにしたいと思っていたところ、たまたま近所の方が背中を押してくださり『手造らんたんや』を始めることになりました。「私にできるだろうか、食べていけるんだろうか」と不安だらけで葛藤しましたが、「どうせ貧乏するんだったら、楽しい仕事をやったほうがいい」と決断。オープン後も、いろんなことがあったものの、不思議とどこかから救いの手が差し伸べられて今日まで続いています。店を始めたとき、「結婚や子どもといった女性としての人生はいったん捨てて、やれるとこまで仕事をやろう」と覚悟しました。でも、縁あって美濃和紙の紙漉き職人の男性と出会い、1年前に結婚。夫は公私ともに理解し合えるパートナーです。家でも和紙の話で盛り上がって、私たちは仕事を趣味にした感じです(笑)。
美濃和紙やらんたんの魅力を発信し、
可能性を広げていきたい。
美濃和紙の里会館で指導員をしていたとき、板の上で干されている美濃和紙に「究極の日本美」を感じました。美濃和紙は身近にあると安心できる本物素材。ぜひ皆さんに見てもらいたい、手にとってもらいたいと思います。脚光を浴びている今は、まさにチャンスで、和紙をどう活かすか、どんなものを開発するかが重要です。私は、職人として父に少しでも近づけるよう、もっと腕を磨かねばなりませんし、伝統の技術や女性である自分ならではの持ち味を活かして和紙の可能性を広げていかなければならないと思っています。もしかしたら、父と違うからこそ生み出せるものもあるかもしれません。だから『美濃あかりアート展』にも毎年新作を出品、第17回のときには大賞をいただきました。この挑戦はずっと続けていきます。美濃和紙は、若手の紙漉き職人も増えて、これからが本当に楽しみ。和紙に関わる者として、また、店でお客様と直接会話しながら製作できる強みを活かして、新しい可能性やつながりを開拓していきたいと思います。