創業は万延元年。古い街並みが続く川原町の、鵜飼船発着点にある老舗宿が十八楼です。伊藤知子さんは、155年の歴史の中で初めて誕生した若女将。企業でいえば女性経営者であり、家庭ならお母さんともいえる存在です。時代とともに変えるべきものと変えてはいけないものを見極め、伝統と革新を併せ持ったブランディングで十八楼を飛躍に導いています。
女性目線で宿づくりをするため
ゼロから若女将の道へ
創業家の長女として生まれましたが、母は女将ではなく専業主婦だったことから、ぬくもりに包まれて幼少期を過ごしました。かつて長良川温泉は男性の団体客が多く、男性の価値観で旅館を運営すればよかったといえます。やがて女性が決定権を持つ時代になり、旅館にも女性の感性が不可欠に。東京の大学を卒業すると、父から「この仕事を手伝ってほしい」と言われて戻りました。当時はお客さまが減っていた厳しい時期。母を見て育ち、女将になるとは夢にも思っていなかった私も、必然的に経営に関わることとなりました。縁があって主人と出会い、仕事でも一緒に歩んでくれることになって、今では働きながら8歳の娘と3歳の双子の息子達を育てています。
様々な人との出会いが財産
仕事と私生活を相互に活用する
女将をしていると、普段出会えないような方にお会いできます。お客さまや地域の方々、従業員のみなさん。年齢や性別、生きてきた環境が違う方とも交流できるのがありがたいですね。海外からのお客さまとの異文化交流も増えました。行政との関わりもあります。現在、岐阜大学の経営協議会委員を務めていることもあり、仕事外でも様々な話を聞くことができるので、視野が広がりました。また、女性ならではの発想を経営に活かすことができるのも魅力です。並行していろいろな物事を考え、要領よく最短ルートを目指せるのは女性ならでは。長良川温泉「若女将会」でも、女性らしい感性を活用しています。一方、男性は専門的な仕事が得意ですから、男性的な経営は主人に任せて、二人三脚で進めます。プライベートを仕事に、仕事をプライベートに生かせるのも面白いところ。読書が好きなので館内にも図書ルームを設けたところ、お客さまにも好評です。育児の経験から、お子さま連れのお客さまのためにキッズスペースを作ったり、お部屋やお風呂にお子さま用のグッズを用意したことも。子育てと経営に共通点を感じることもありますので、多面的な思考や同時進行する力も、常に養われていると思います。
家族の協力があるから仕事ができる
子どもたちとのコミュニケーションを大切に
旅館の仕事はサービス業なので、時間はお客さまの都合に合わせるため、帰りが不規則なのはつらくもあります。ほかのお母さんのように夜の時間を子ども達と過ごせず、土日休みでもありません。幸い、母が子どもたちの面倒を見てくれているので助かっています。一時は仕事を辞めたほうがいいかと悩み、娘に相談したこともあります。すると「辞めない方がいい。働き方を変えれば?」と、もっともらしいアドバイスをして励ましてくれました。弟たちが双子で大変だったので、彼女はすでに同志のよう。仕事柄1泊ですが、季節ごとに1度、家族で小旅行をするのがみんなの楽しみになっています。また、地域のお友達にもよくしていただいています。ママ友さんと親子でお出かけしたり、アドバイスをもらうことも。仕事と家庭の両立は今後も課題ですが、できるだけ子どもたちとコミュニケーションをとり、濃い時間を作っていきたい。「あなたが1番だよ」と伝え、抱きしめることを大切にしています。
スタッフも感じる居心地良さが
サービスへの評価につながった
昨年は、十八楼が「JTBが選ぶ2014年度サービス最優秀旅館」を受賞しました。2011年度から2度目となります。これを維持できるよう、一同モチベーションを上げて、今後もサービスの向上に努めたいと思います。受賞に向けて、何か特別なことをしていたわけではありません。ただ従業員のみなさんには、「お客さまはもちろん、電車でたまたま隣り合わせた人にも親切にできるよう、おもてなしの心で」と話しています。また、従業員さんが喜んで働けるような職場作りにも力を入れてきました。産休育休制度はもちろん、出産で退職した人も、子どもが幼稚園や小学校に入るタイミングで仕事に戻れる仕組みがあります。
プライベートでの願いは、3人の子どものうち1人でも旅館の仕事に興味を持ち、暖簾を守ってくれること。そのために、「人が喜んでくれたら自分もうれしい」という気持ちを育てたいですね。私は、小さい頃父に教わった『人間万事塞翁が馬』という故事が好きです。幸や不幸もいつ転じるかわからないので、落ち込まず、おごることなく暮らしていきたい。ゆるぎない信念を持って、自分なりに精進していけたらいいなと思います。