大正時代から民宿を営む「上出屋(かみでや)」に嫁ぎ、今は女将を務める西脇洋恵さん。店が建つのは郡上市の中心部から車で約1時間、標高1000m級の小川峠を越えた場所にある明宝小川地区です。川沿いに約70戸が並ぶ小さな集落には、昔ながらの山里の自然と人間味あふれる温もりが残り、釣り客やスキー客などが訪れています。過疎の一途をたどる集落で働きながら、オリジナルの鶏ちゃん販売や各種イベント企画、移住者支援など、多彩なまちおこしに挑戦しています。
青年海外協力隊でケニアに赴任
僻地での活動が未来を変えた
服飾の専門学校に通い、卒業後は洋服のデザイナーをしていました。学生時代の恩師が青年海外協力隊に参加しており、マレーシアでの活動や英国留学を経て、国際ボランティアとしてケニアに滞在していたんです。その影響で私も興味を持ち始め、パタンナーとしてケニアに赴任しました。現地で出会ったのが今の夫です。測量の仕事で訪れていた彼と意気投合し、任務終了後に夫が生まれた郡上市へ嫁ぎました。初めて訪れた明宝は、山と畑と田んぼばかりの田舎でしたが、ケニアの方がすごかったので何とも思いませんでしたね(笑)。義母の勧めで調理師免許を取得し、民宿業を手伝い始めたことで食の知識が深まっていきました。
女将業で培った経験と人脈を糧に、
食を通してまちの魅力を発信!
民宿の利用客は、9月頃までの釣り客と冬のスキー客がメイン。冬季は4WD車が不可欠とあって不便も多いですね。もっと集落の魅力を伝える方法が欲しいと考えた時、頭に浮かんだのが「食」。教わった郷土料理の中でも、大おばあちゃんの代から引き継いだ「鶏ちゃん」は、味噌や醤油の味が染み込んだ鶏肉の食感が好評でした。「上出屋の鶏ちゃん」として冷凍販売を始めたところ反応は上々。他の飲食店も冷凍販売を始め、「めいほう鶏ちゃん研究会」の発足に繋がりました。食のイベントに意欲的に出店し、私も会員として仕込みを手伝っています。近隣の民宿のおかみさんたちと「ビスターリマーム」という会を結成し、明宝産トマトを使ったケチャップづくり、そば打ち体験など、旅行会社と一緒に様々なイベントを企画。さらに郡上市明宝の地域密着型中間支援組織であるNPO法人「ななしんぼ」の理事長も務めています。活動に共通するのは地元の人と力を合わせ、地域の魅力を伝える活動ということ。とてもやりがいがあります。
まちおこしのために始めた活動は、
次につなげてこそ意味がある
まちおこしは、国際協力の仕事に似ているんです。国際協力は国からの予算でダムや工場を建設しますが、協力隊が帰った後も運営管理できるよう、現地の人を教育する必要があります。まちおこしも給付金をベースに活動し、それが途切れた後も継続できる環境づくりが大切。「めいほう鶏ちゃん研究会」では若い世代にノウハウを伝えていくために、利益をしっかりと生み出す仕組みを整えなくてはなりません。「ビスターリマーム」はもっと深刻。メンバーの高齢化などで会員数が激減しています。地元産の旬の食材で味わい豊かな「食」を提案するスキルを生かし、なんとか活動を続けたいですね。地元で後継者を見つけるのが難しいなら、移住者へ継承するのも一つの手段です。「ふるさと郡上会」の活動を通して、都市部に住む人へ空き家の斡旋なども行っています。
育児と同時に夢中で学んだ食文化
もっと多くの人に伝えていきたい
家族は、主人と大学生の長男、次男、高校生の長女、そして元気な義父の6人。子どもを育てながら、女将業やまちの食文化発信などあらゆる経験を積んできましたが、忙しい子育て期間中こそ若くて勢いがあると思うんです。
「暇になったら挑戦しよう」では、いざその時が訪れてもできないことが多いので、できる時になんでも挑戦するべきだと思います。私自身はもうすぐ子育てが終わるため、「ビスターリマーム」の活動で得た料理の知識を生かし、明宝の食文化を伝える活動に本腰を入れたいですね。生きるためには誰もが必ず食べるわけですから、人生にとって「食」の存在は大きい。だからこそ、豊かな食体験を通して若い人を育てていきたい。私が持つ知識と経験は、出し惜しみすることなく誰とでも共有したいので、料理の仕方や山菜のこと、その他どんなことでも聞きに来てください。