デイサービスセンター、みずほ身障リハセンター、訪問看護ステーションと訪問リハビリテーション、居宅介護支援事業所を運営する飯沼順子さん。老人保健施設で県内初の常勤理学療法士となった経歴を持っています。理学療法士として24年の豊富な知識と経験を活かし、障がいがある人のリハビリを多方面からサポートしています。
在宅でリハビリする人を思い
訪問看護ステーションを開設
現在は4つの事業を手がけている私ですが、元々はピアノで生計を立てたいと思っていました。しかし才能や経済的な理由から夢を断念し、接骨院でアルバイトをしていた20歳の頃、接骨院の先生から「手に職をつけなければ」と言われ、理学療法の学校を勧められました。早速3年間学校に通って理学療法士の資格を取得。2カ所の施設で勤務を経験しました。
会社を設立する案が浮かんだのは、介護保険制度ができた2000年。勤務先の施設でふと、「家で暮らしている人のリハビリはどうなっているのだろう」と考えたのをきっかけに、在宅で頑張っている障がい者や介護者の方々を支援したいという気持ちが大きくなっていきました。そこで2002年、有限会社「和」を設立。思いに賛同してくれた仲間と共に、訪問看護ステーション「なごみ」を立ち上げたのです。
自力で立つことや歩くことを
お手伝いできる喜び
「なごみ」では、看護師も介護士も「リハビリ」を支援。生活の中にリハビリの考えを取り入れ、その人の生活全般を支えられる技術を提供しています。
退院後、「歩けない」「立てない」と言われていた人たちが自分の力で立つこと、歩くことのお手伝いができるのは、理学療法士として最大の喜び。「障がい」と聞くとネガティブにとらえがちですが、だからこそ利用者には「あなたが障がいを持っていたからこそ、出会うことができた」と接するようにしていて、これが仕事をする上でのモットーでもあります。
20年ほど前、私が小学2年生の時の担任の先生にお会いする機会がありました。理学療法士として働いていることをどこかで知ったらしく、「あなたは2年生の時の文集に、身体障がい者のための仕事がしたいと書いていましたね」と教えてくださったんです。その時、この仕事に運命を感じました。
無力感や限界を感じることも
それでも相手が人であることが魅力
当初は「自分で会社を立ち上げること=自由」だと思っていましたが、そうではありませんでした。実際には決められた保険制度の中でしか仕事ができず、制度の壁を感じています。
障がいがある人自身や、施設の担当者がいくら努力をしても症状がよくならず、亡くなってしまったこともあります。その時は「もっとできたことがあったのでは」といつも思います。障がい者と療法士の1対1の関係では、無力感や力の限界を感じることもあるのです。この気持ちは、療法士をしている誰もが経験する辛い現実です。
それでも相手が無機質なものではなく「人」であることは、この仕事の大きな魅力。同じ病気でもたくさんの方がいて、それぞれ違う症状に向き合い頑張っています。そうした「人」と出会えることが、やりがいに繋がっています。
夢はリハビリの対象を広げること
持ち前の行動力で実現していきたい
家族構成は、夫と夫の母親、大学生で下宿中の息子がいます。これまで、「どれだけ周囲を自立させるか」ということを考えてきました。他人に甘えず自分でできることは自分ですることが、本人のためになるからです。
息抜きは運転をすること。車と運転どちらも好きなので、遠出するのも苦ではありません。息子が遠征で広島に行った時には、車で往復した経験もあります。
また、本が好きで芥川賞や直木賞受賞作品などは必ずチェック。同業者が書いた体験本なども共感できるので、いずれは自分の経験も文章に残したいとも思います。
これからの目標は、リハビリの対象となる世代を広げることです。現在は18~60歳未満が対象ですが、学童期の子どもや重症の人まで広く受け入れられるようにしたい。2015年に「みずほ身障リハセンター」を開設する際には、「採算が合わない」といわれ、反対に合いながらも賛同してくれた仲間の力を借りて奮闘しました。無事開設できて今に至っていますので、今後もこうと決めたら他人の意見に惑わされることなく、夢を描いていきたいです。