岐阜で活躍する女性の紹介
〜岐阜で活躍する女性からあなたへのメッセージ〜

自分がいいと思ったら
自信をもって話し、
思いを人に伝える
そこから道は開けると信じて


つるや 店主
杉山ミサ子(すぎやま みさこ)さん(関市)

【2016年4月25日更新】

一級河川・武儀川のほとりに佇む郷土料理店「つるや」の店主であり、地域振興関連の委員などにも名を連ねる杉山ミサ子さん。地域特産のツルムラサキを使った"つるむらさきうどん"を全国に広めることで、きれいな空気や自然、文化、歴史が残る関市武芸川町の活性化につなげています。熱い思いのもと、地域の人たちと協力しながら、休耕田を活用したツルムラサキの栽培と普及活動に力を注いでいます。

移住者だからこそ感じた、
里山の豊かさに魅せられて

 大学進学を機に熊本から上京し、結婚後もしばらくは住んでいました。関市武芸川町で暮らすようになったのは、「故郷に戻りたい」という夫の希望からです。1977年に子ども2人を連れて移住しましたが、足を踏み入れた日、「ああ、よかった」と心から思いました。地元の人は何もないところだといいますが、夜空いっぱいに星が輝いていて、山や川などの自然が豊かです。すべてを得たような満足感がありましたね。
 3年後、夫ががんで他界しました。一度は熊本の実家へ帰ったものの、この地の山や川の風景が忘れられなくて、子どもたちが毎晩のように泣くんです。その姿を見て、武芸川で生きていこうと腹をくくり、戻ってきました。

地域に根付く文化・風習を
ヒントにして特産品を開発

 ツルムラサキのことを知ったのは、武芸川町役場の職員として特産品の開発に携わるようになったのがきっかけでした。古くは薬草として使われ、カルシウムや鉄分、カロチンなどが豊富な野菜。特にカルシウムは、ほうれん草の3倍もあるんですよ。生命力旺盛で、畑一面を覆う緑の葉には虫もつきません。ですが独特のぬめりがあるため、好まれては調理されていませんでした。
 熱心な上司の後押しと県内の薬科大学の教授の勧めもあり、地域の女性たちとともにツルムラサキの栽培を始め、調理法を模索しました。武芸川は、平安時代に宇多天皇が小麦だんごを召し上がった地だと伝えられています。毎年7月の第1日曜日には、小麦だんごをつくって神社に供える祭りが催されているほど。小麦粉文化が根付いていて、自宅でうどんを打つのはおばあちゃんの役目でした。それをヒントに、ツルムラサキを粉末にして小麦粉と混ぜてみたらネバネバがつなぎの役割をして、コシのあるおいしい麺ができたんです。

地元で暮らす人たち
関わってこそのものづくり

 ツルムラサキは健康にとてもいい野菜です。手軽に味わえる"つるむらさきうどん"を通して多くの人に知ってもらえるのは、とてもうれしいことです。
 栽培と加工は機械ではなく、手で一枚ずつ葉を摘んで粉末をつくっています。地域の人たちや高齢者の活躍の場が増えるという点も、この仕事の魅力だと思っています。特産品とは、「地域の仲間とともに、そこにしかないものをつくり出すこと」。特産品の普及は、まちおこしにもつながっているんです。
 やりがいを感じて役場職員から武芸川町の議会議員になってからも、地域の人たちの声を聞きながら特産品の普及とまちおこしに関わり続けてきました。1998年には"つるむらさきうどん"が県の「味おこしコンクール」で優勝。議員や地元仲間の出資で「つるや」を開店しました。私だけでなく、調理担当のスタッフや栽培に関わるおばあちゃんたちもツルムラサキのおかげで生き生きとしていられると感じています。

資源を活かしたまちおこし
美しい自然を次世代へ残す

 現在は、"つるむらさきうどん"を全国に広めることを目標に県外へ足を運んでいます。他にも商工会会長として地域の事業者の経営支援に携わったり、関市の農業婦人クラブのメンバーとともに農産物の独自産業化を目指したりしています。
 仕事もプライベートも一体化していて、趣味の旅行もツルムラサキを栽培しているおばあちゃんたちと一緒に行っています。下呂温泉などへ行って、みんなで息抜き。亡くなった夫の言葉、「自分がいいと思ったことは自信をもって話し、思っていることを人に伝える」を大切にしながら、命を育む里を次世代へ残すため、これからも資源を活かした活動を続けていきたいですね。