岐阜で活躍する女性の紹介
〜岐阜で活躍する女性からあなたへのメッセージ〜

地域に暮らす、すべての人が
希望に向かって心豊かに
暮らせるよう
私たちができることを
常に探し、提供し続けています


NPO法人可児市国際交流協会 事務局長
各務眞弓(かかむ まゆみ)さん(可児市)

【2017年3月15日更新】

総人口の約5.9%を外国籍住民が占める可児市。各務眞弓さんは日本人と外国人がお互いを理解して尊重し合い、助け合い、そして希望を持って生活できるよう、「多文化共生」の基礎を模索し続けてきました。NPO法人可児市国際交流協会の立ち上げから参加し、今年で16年。外国人が地域の中で安心して暮らせるまちづくりを、これからも進めていきます。

言語講座での縁がきっかけで
地域の多文化共生の世界に

 杉原千畝記念館の設立に合わせて八百津町で開かれた「ヘブライ語講座」に通ったのが、国際交流・多文化共生の世界に飛び込むきっかけでした。何の知識もありませんでしたが、子育てがひと段落したこともあり、何か自分のために勉強がしたいと思って参加しました。友人もでき、継続して講座を受けることに。宗教関係者、団体関係者、言語が好きな方など、いろいろな人がいて、仲良しのグループができたのです。外国人に日本語を教えるなど、いろいろな国際交流の活動に誘われるようになり、「英語ができなくても国際交流はできるんだ」と知りました。
 そんな折、可児市が国際交流協会を立ち上げることを知りました。既存ではなく、新しくつくりあげることに魅力を感じて設立準備委員会に参加しました。当時、立ち上げに際して、外国人と楽しく交流して関係を深めようという「国際交流」と外国人と日本人の地域での近隣トラブルなど課題を解決してまちづくりをする「多文化共生」のどちらに軸を置くかで議論がなされました。可児市の現状をみて、「多文化共生」の道を進むことになったのです。

外国籍児童の置かれた状況に愕然
急いで進めた教育環境の整備

 2000年、協会設立とほぼ同時に可児市内にブラジル人学校ができました。そこを見学に行った私は衝撃を受けました。「学校」とは、とても呼べない「民家」に子どもたちが集まって勉強をしているような環境でした。「同じ地域に住んでいながら、日本人と外国人とでは、どうしてこんなに差があるのか。この状況を何とかできないか」という思いで、学校で経理事務などの仕事を始めました。
 働くために日本にやってきた親は、とにかく仕事で精いっぱい。体調が悪くても、会社を休めば退職を余儀なくされるケースもありました。どうしても子どもまで手や気がまわらないのです。日本の学校、外国人学校、どちらに通うにしても外国人の子どもたちは苦労していました。そこで、ボランティア仲間と一緒に日本語を教えたり宿題のサポートをしたりして、子どもたちの居場所を創出しました。活動は「Mammy's(マミース)」として2003年から5年間続けました。学童のような場所を想定していましたが、次第に赤ちゃんを預けにくる母親が増えました。国が違えば子育てが違うことは当然ですが、日本の季節や風土に合わない子育て、たとえばあまり良くない食事状況などもあって、私たち日本人ボランティアは、たくさんの衝撃を受けたものです。「私たちが子どもを健全に育てていかなければいけない」という思いで、日本の子育てや食事など、子育ての基本を母親たちにどんどん発信し続けていきました。Mammy'sの事業内容は、いま協会が展開しています。

次第に相互理解が生まれ
外国人と日本人が共生する地域へ

 ブラジル人学校の教員を日本の学校へ見学に連れて行って、日本の学校を知ってもらいました。生徒が掃除をすることやモノを大切にする心など、驚きながらも共感する点があったようで、少しずつブラジル人学校が変わっていきました。「食生活の違いから給食が食べられない」「日本語が話せない」などが原因で学校に行くのをやめてしまうといった状況が当初はありましたが、15年以上が経過して改善が少しずつ見えてきました。家庭がうまくいっていない子どもは、見るだけで分かります。そういったときは辛かったし、一生懸命やっても裏切られてしまうこともありました。それでも子どもの笑顔に励まされて続けることができたのです。家庭の事情はそれぞれで、そこに立ち入ることはできません。だからといって子どもが犠牲になるのだけは避けたいのです。
 地域でも、日本人と外国人の共生に対する意識が高まってきたように思います。協会だけでは変えられないこともありますが、多様な人々が良い影響を与え合いながら生きていけるように多くの人の理解を得ながらさまざまな事業を展開しています。

家族の助けと笑顔に支えられ
ここまで続けることができた

 可児市国際交流協会の事務局長に就任して7年目。Mammy'sを始めたころは、家族も驚いていました。「何を言い出すのか、何をし出すのか...」といった感じでしたね。それでも母親が家事をしてくれ、息子は仕事まで手伝ってくれました。兄弟も私を大きく支えてくれました。彼らの存在があったから、続けてこられたと感謝しています。
 また、Mammy'sに来ていた子どもが大学進学を果たしたり留学をしたり、自分が本当にしたい道に進んでいくのを見るのも幸せで、こういったケースを増やしていきたいですね。外国人の進学や就職には、たくさんの困難があります。それを一つひとつクリアしていけるよう、幅のある選択肢を与えていきたいのです。「フレビアに行けば各務さんたちがいる。だから大丈夫」と思ってくれる家族が少しでも増えるように、そういった場所、人でありたいと思っています。
 これから重要なのは後進の育成。いまある仕組みを、より良くし、動かしていける人材を育てていきたいです。