助産師として、多くの出産に立ち会ってきた杉岡隆子さん。病院を退職した後、助産所と子育てサロンを融合した新たなコミュニティースペースをつくりあげました。地域の母親同士を結びつけ、より安心して子育てできるようにサポートし続けています。
出産に立ち会ったことから
助産師になることを決意
私の夢は看護師でした。夢を抱いて看護学校に入ったのですが、実習を経験して「このまま看護師になっていいのだろうか」と悩むようになったんです。患者さんは皆、病気を抱えて沈んでいます。がんを患っている人と接して、自分まで滅入ってしまったこともありました。看護師に向いていないんじゃないかと考えている時、産科を経験して「これだ」と思いました。出産のシーンに立ち会って、「人間が生まれるってすごいことだ」と感動しました。
目標を決めたら一直線。助産師になろうとしてからは苦労を感じませんでした。国家試験にも合格でき、大垣市内の病院に勤務。長く勤めていたのですが、孫が生まれたことを機に退職して、東京で助産師をしながら子育てを手伝っていました。
母乳・育児相談室さんばさんを開業したのは、東京から大垣に戻ってきた時。年齢を考えると、再び病院に勤めるのは厳しい。それなら独立しようと思い、平成27年4月にオープンしました。
産後の早い時期から通える
子育てスペースをつくりたい
病院に勤務していた頃、出産後に不安そうにしている母親たちをよく見てきました。「困った時、どこに相談すればいいのだろう」「どこで友達を作ればいいのだろう」。もちろん、子育て支援センターなど公的施設はありますが、産後の早い時期に利用できる場はなかったんです。その時期の母親は、母乳のあげ方や育児についての悩みなど、わからないことだらけ。でも、あまり外を出歩けない。そんな母親たちを、私は手伝ってあげたい。生まれたばかりの子どもを連れて、アドバイスを受けられる場所をつくりたいと考えたんです。
最初は借りられる場所がなく出張専門ではじめました。翌年1月に現在の場所を見つけることができて、事務所を移転。「おっぱいケア」や、母親同士でコミュニケーションをとったり、子どもを遊ばせたりできる「さんばさんルーム」を開設。ほかに、ダンスやヨガ、マッサージの教室も開いています。
人が人を呼び、つながる
さんばさんが結ぶ人の輪
いまの仕事をしてきてうれしいのは、結果がすぐに反映されること。自分が関わった人が良くなっている様子が手に取るようにわかる。おっぱいの出が悪く、暗い表情をしていた人が、明るく元気になる。明るくなると、外に行ってみようという気持ちになるんですよね。日に日に明るくなっていく姿を見るのがすごくうれしいです。
また、さんばさんを始めたことで、自然と人の輪が広がっていると実感しています。来所してくれた人が、友達を連れてきてくれる。いつも「さんばさんルーム」には、平均3~4人、多い時は8人ほど訪れてくれます。助産師として出会ったというより、サロンを開いたことでできた縁です。来所する母親はもちろん、私の考えに共感してくれたスタッフも含め、新たなつながりができていると感じています。
理想は昔の近所付き合い
皆が気軽に立ち寄れる場に
こうして仕事をしてこられたのは家族のおかげだと思っています。特に夫は家事が完璧。料理が好きで、ビーフシチューがとてもおいしいんです。病院での仕事は忙しかったですし、さんばさんをはじめてからも、時間が不定期。夜に訪問しなきゃいけない時もありますが、家族の理解があり、支えられているから続けられていると思うんです。
今後は、現在続けているさんばさんを広く女性が集まれるスペースにしたいです。いまは産後の母親だけですが、子どもが成長しても来てくれるといいなと思っています。そのためには、もっともっと地域に根付いて、人と人を結びつける場にしていかないと。昔、近所のおばちゃんが子どもの面倒を見てくれたような、そんな関係を生み出せる場所になっていくよう、さんばさんを続けていきます