認知症対応型のグループホームを作り、高齢者の生活を支えるNPO法人ほのぼの朝日ネットワーク。その誕生には、「立場の弱い人の味方でありたい。人としてできることをしたい」という理事長・高井道子さんの思いがありました。すべての人がずっと楽しく生きられるようにと、生涯をかけて子育て支援から高齢者支援まで幅広い世代を支えています。
環境の変化を支えた
地域の人の温かさ
夢は女優でした。東京で生まれて、夢を追いかけていましたが、結婚と出産が重なって断念しました。その後、電話交換手の仕事に就いたのですが、一日中電話を受けるうちに頸と肩、腕を壊してしまいました。職業病の治療のために習ったのがヨーガでした。
私が学んだのは体に無理をさせることなく、リラックスを目的とするヨーガです。そんなヨーガは、同じ悩みを持つ同僚に頼まれて教えた時も好評でした。そこで、「ミチコヨーガリラックス健康法」を主催し、インストラクターとして活動するようになりました。
転機が訪れたのは平成6年。東京で自営業をしていた夫が、「飛騨で林業をしたい」と言い出したのです。子どもが小さかったので悩みましたが、目指すものを見つけた夫のために移住を決断しました。当時は朝日村だった高山市朝日町に引っ越しました。
引っ越す前は「そんな山奥で暮らしていけるか」という不安もありましたが、いざ暮らし始めるとたくさんの魅力がありました。生協(生活協同組合コープぎふ)で卵や牛乳を買っていたのですが、すごくおいしいですし、東京ではブランド品として高級スーパーに並んでいる食材が、日常的に食べられているのに驚きました。
結の文化が根付く飛騨高山では、地域の人々が温かく迎え入れてくれて、すぐに馴染めたんです。そんな人たちへ恩返しがしたいと、生協の「くらしたすけあいの会」に参加しました。
皆が楽しく過ごせる地域へ
ボランティアサークルを結成
「くらしたすけあいの会」は、生協の会員が日常の困りごとを助け合うシステムです。私が最初にサポートしたのは双子の子どもを持つ妊婦さんです。その後も参加会員としてさまざまな人のもとで手助けをしているうちに、組合員理事をしないかと誘われました。生協で福祉部会に参加したところ、社会福祉を学ぶとともに、地域貢献に取り組む機会にもなりました。
平成11年、史実を題材にした映画「郡上八幡」を上映しようという住民運動が朝日町で起こります。朝日町は高齢者が多い地域でしたが、近くに映画館がなく、なかなか大きな画面で映画を楽しむ機会がありませんでした。私もメインメンバーとして参加し、皆さんにとても喜んでもらえました。その時のメンバーが集まり、「老若男女すべてが、いつまでも楽しく暮らせる地域作りをしよう」と、ボランティアサークル「ほのぼの朝日ネットワーク」を立ち上げました。
子育て支援から高齢者福祉まで
幅広い活動で地域を支える
「ほのぼの朝日ネットワーク」では、まず子育て支援から活動をはじめました。生協の子育て広場を意識して、「朝日っ子溜り場ひろば」を開催しました。ダンボールでおもちゃを手作りし、子どもが楽しく遊べて、保護者同士がコミュニケーションをとれる場を提供しました。
朝日町で何が求められているのかを聞き取り調査したところ、高齢者世帯が多いなか、認知症の方が少なからずいることがわかりました。そこで、平成15年、生協や行政の協力のもとでNPO法人化しました。まずは宅老所を作り、その翌年に認知症対応型のグループホームを設立しました。その後、デイサービスや居宅介護支援事業所、小規模多機能型居宅介護事業所、サービス付き高齢者向け住宅など、さまざまな高齢者福祉施設を増やしていきました。その根幹には「高齢者が認知症にならない。もしなったとしても、安心して住める優しい地域にしていく」という思いがありました。
そのため、特にグループホームでは「できることはご本人がする」を大切にしています。認知症はすべてを忘れてしまうのではありません。その人の記憶が残る世界で生きているんです。だから、昔から続けている行動は体が覚えている場合があります。料理を自分たちで作るなど、できる限りを自分たちの力でできるよう支援するのが私たちの役目だと思っています。
困った時は原点回帰
ヨーガで心を宇宙とつなぐ
さまざまな人との出会いがあり、助けられて今の仕事に就いています。忙しい日々が続き、仕事について悩む時もありますが、そんな時はヨーガをして原点回帰しています。ヨーガには心を宇宙とつなぐという思想がありますが、実際にヨーガをしていると心がニュートラルになって自分を見つめ直せます。そんなヨーガが今でも好きですし、高山市昭和町と下呂市金山町などで月2回教室も開いています。
夢だった演劇は、5年前にようやく踏ん切りがつきました。それまでは観劇していても、自分が演じたいという思いを持っていました。今はもう、見て楽しめるようになりましたし、いつか裏方として演劇に関われたら、という夢もできました。
経営者としては、今後さらに事業を市外・県外へ広げていきたいですね。幸い、子どもたちが仕事を手伝ってくれますし、跡継ぎとして熱心に学んでくれています。私が代表を辞めた後は、子どもたちの活躍を見守り、支えながら、自分の時間もしっかり作っていきたいですね。