美濃加茂市の国際化が進むなか、「外国に興味がある」「多様な人と交流が持ちたい」と思う人が集い、1991年に設立された美濃加茂国際交流協会。武田由美さんは2004年から協会の活動に携わり、3年前には事務局長に就任しました。グローバルな視点のもと、国際交流や地域振興に邁進しつつ、個人的にもボランティア活動を実施。公私ともに、バイタリティーあふれる生活を送っています。
キャリアを国際交流に活かし
多様な文化の共生を目指す
大学で語学(英語)を専攻し、卒業後は国際線の乗務員をしていました。乗務員の仕事を辞めてからも、通訳の仕事や英会話教室を開くなど、語学力をキープしようと心がけていました。
東京から、両親の住む美濃加茂市に戻ってきたのは1997年。3人姉妹の長女で、いずれは帰郷することを約束していました。また子どもには自然とともに伸び伸び育ってほしい、という願いもありました。
子どもが小さな頃は、英会話教室をメインに活動していました。子育てが一段落した2004年から週2回ほどのペースで、美濃加茂国際交流協会に顔を出すようになりました。
現在主人は単身赴任、長女と長男は独立し、二女は大学に通っています。東京、ハワイ、大阪と家族バラバラの生活ですが、事務局長になってからは土日にイベントが入る機会が多いため、寂しさを感じる暇もなく、忙しい日々を過ごしています。
美濃加茂国際交流協会で
外国人と日本人の橋渡し
美濃加茂国際交流協会は、2008年に特定非営利活動法人(NPO)化しました。地域のイベントへ積極的に参加しようと、在住外国人に呼びかけ、交流を深められるよう促しています。
また、在住外国人への日本語講座、在住外国人児童・生徒への学用品リサイクル活動や学習支援、日本人への外国語講座にも力を入れています。
美濃加茂市の姉妹都市、オーストラリアのダボ市との交換ホームステイ事業も手がけています。中高生にとって一生に一度の経験ですから、最高の思い出にしてあげたいです。ダボ市からやってきた生徒たちが、日本を大好きになってくれるのも、喜びの一つです。
在住外国人が困っている時は悩みを聞き、問題の解決に励みます。リーマンショックの際には、その多くが急に職を失い、後を絶たないくらい相談が届きました。困難な時期を乗り越え、今も美濃加茂市にいてくれる人と再会すると、「あの時、諦めず帰郷しないでよかったよ」と感謝される時も。心底、この活動をしていてよかったと感じる瞬間です。
挑戦するのが大好き
休日もアクティブに過ごす
土日でないと連絡がとれない人や、急用でコンタクトをとりたい人もいますから、仕事が忙しい場合は自宅で仕事をする日も。SNSでプライベートな相談を受ける時もあります。
美濃加茂国際交流協会以外では、企業などから依頼を受け、英語教室やマナー講座をしています。ボランティアを兼ねた旅行に出かける時もあり、2017年6月にはフィリピンに向かい、恵まれない小学生700人に1人300円相当の学用品を寄付しました。
ホームステイも積極的に受け入れ、北南米、アジア、ヨーロッパと、多くの外国人がわが家に滞在しました。国際色豊かな環境で成長したためか、子どもたちが人種に偏見なく育ってくれたのがうれしかったです。
休みの日には、ペットのミニチュアダックスフントとゆったり過ごします。全信頼をおいてくれているのが伝わってきて、愛らしいです。アロマオイルやストレッチで体を休めたり、ケルティック・ウーマンの曲を聞いたりするのも、リラックスするには効果的です。
基本的に挑戦するのが大好きで、アクティブなタイプです。和太鼓のチームに参加したり、北海道へ流氷ウォークにでかけたり、手筒花火を体験したりと、人生、まだこんなに楽しいことがあるんだ、と発見の日々です。
スタッフの育成が課題
交流できる場も作りたい
美濃加茂国際交流協会は昨年、25周年を迎えました。イベント時以外にも、外国人と日本人が交流できるスペースが美濃加茂市にできればと思います。日本人にはないものを持っているのに、言葉の壁などで活かしきれないのは残念。それぞれの長所を役立てる場作りをしていきたいです。
一方で、事務局は慢性的な人手不足です。ボランティアスタッフに支えられていますが、次代を担う人材を育てる必要性も感じています。
個人的には、ボランティアの輪を広げていきたいです。情熱を伝えると、賛同してくれる人たちがたくさんいます。自分で支援するだけでなく、周囲を巻き込み、支援を必要とする人が自立できるようなシステムができるといいですね。常に、人を助けられる自分であるため、金銭面だけでなく、気持ちや時間の余裕も大切にしていきたいです。