2度の転職を経験しながら、夢を実現した北平純子さん。2004年にはオフィスコトノハを起業し、ラジオパーソナリティーや司会者を養成、斡旋してきました。現在は、女性の起業塾と企業向けの研修に力を入れています。企業研修では、上場企業から地元企業まで、年間2000人以上に講義。そのほか、2013年には一般社団法人を立ち上げるなど、これまで培ったキャリアを糧に、パワフルに活躍しています。
アナウンス講座を受講し
話し方が人生を変えると発見
世界各地の知られざる情報をクイズ形式で紹介する「なるほど!ザ・ワールド」が好きで、このテレビ番組のレポーターになるのが夢でした。そのため大学卒業後は、マスコミ関係に進みたいと思っていましたが、当時はちょうど就職氷河期。テレビ局の採用試験を受けるのを諦め、航空貨物会社に就職しました。
しかしレポーターになる夢を諦めきれず、1年後には広告代理店に転職。出版事業部で営業をする傍ら、アナウンス講座でレポーターになるための勉強を始めました。この講座が良かったのは、話し方はもちろん、コミュニケーションの方法が学べた点。学んだ内容を営業に活用したところ、入社から3カ月間まったく振るわなかった営業成績が、ぐんぐん伸びていきました。
元気なあいさつが好きなクライアントには明るく、落ち着いた雰囲気を好む人には声のトーンを押さえる。「売りたい!」という意欲ばかりではなく、相手のために自分はどんな貢献ができるか考えて提案するなど、相手を尊重した対応の重要性を実感。現在、企業研修としてコミュニケーション講座を提供できるのは、こうした営業経験があるからこそですね。人生、無駄な経験は一つもないと実感しています。
逆境こそ最大のチャンス
自らを辛い状況に追い込む
1998年には地元ラジオ局「エフエム多治見」のパーソナリティーに合格し、開局第一声を担当。二回の出産を経験しつつ、7時の番組スタートに合わせて、4時起きの生活を15年にわたって継続しました。夫は当時会社員で、夫婦で仕事に育児に悪戦奮闘する日々でした。
フリーランスのアナウンサーとして、ケーブルテレビのキャスターや講演会、披露宴の司会など、仕事の幅を広げていく中、同じ日に複数の依頼が入ることも増えていきました。外注する際、個人名ではなく会社名が必要だと、2004年にオフィスコトノハを設立。仕事と家庭の両立がしやすいよう、自宅に仕事場を構えました。長女出産の際、ベビーシッターをかって出た妹が、経理として参加してくれました。
2008年には、長女が1歳になる1カ月前に会社を法人化。手続きをするため、子どもをおんぶして地元の法務局に行ったところ、「ここは保健センターじゃないですよ」と職員に間違われてしまいました。当時、地元で起業する女性は、それだけ少なかったということでしょう。
なぜそんな育児が忙しい時期に、と思われる人もいるかもしれませんが、私は崖っぷちの状況の方が燃えるタイプなんです。大変な時だからこそ、今を乗り越えれば、明るい未来が待っている。そう思えば、忙しさも苦ではありません。周囲には「逆張り志向」なんて、よく言われますね。
自分らしい生き方を提案
女性の活躍をサポートしたい
起業よりも難しいのは続けること。話すのは得意でも、人の意見を気にしやすい性格で、スタッフとの人間関係には悩まされました。一時期、うつのように気分が落ち込んでしまった時があって、3歳の長女に「ママ、おうちでも笑って」と言われたときは、ハッとさせられました。私にとって活力の源は家族。一番大切な人を幸せにしたくて仕事をしているのに、何をしているんだろうと反省しました。
メンタルヘルスを学び始めたのは、この出来事がきっかけ。人の心理はこうなっているから、こんな風に接しようと、学んだ内容を企業研修で伝えたところ、「小さい頃に知っていたなら、人間関係で悩む経験をしなくてすむのに」という声が上がったんです。
子どもの頃からコミュニケーションを学ぶ場を提供しようと、一般社団法人日本コミュニケーション機構を設立。講師を養成し、子どもたちへボランティア授業を実施しています。主婦や会社員、先生など、認定講師は全国で50人にのぼります。
認定講師は、教える力はあっても集客などのスキルを学ぶ必要があるため、オフィスコトノハとして、2015年から女性向けの起業塾を開催。東海エリアの女性を中心に、ランチ会には300人以上が参加し、実際に70人が起業塾を巣立っていきました。
人の成長を見るのが、何よりのやりがい。「人の役に立ちたい」と思っている女性たちの夢を実現し、生き生きと活躍している姿を見ると、私もうれしくなります。現在は、夫が主夫となり、家族を支えるというちょっと変わった家族になりましたが、自分らしく生きられることを、私自身の生き方で証明していきたいです。