恵那市で女性初の自治会長を務めるなど、同市や地元三郷町でさまざまな役を引き受け、まちづくりの分野で活躍する坪井弥榮子さん。「男女共同参画の動く広告塔」と言われたこともあり、「それぐらいに思われないとこの仕事はできない」と、実感を込めます。「少子高齢化を踏まえ、安心して住み続けられるまちづくりを継続していきたい。これは恵那市全体に言えること」と、穏やかに話します。
「男も女も関係ないでね」
父の言葉が支えとなった
「男も女も関係ないでね」。第一子の私が物心ついた頃から、父は私にそう言い聞かせていました。尊敬する父のおかげで、「女性と男性は同等」という考え方が自然と備わり、男女の共同参画は当たり前だと思って育ちました。
私は結婚してからも、学校事務の仕事を続けました。そんな折、子育てを理由に仕事を辞めてもいいか夫に相談すると、「子育ては2人でできるから、仕事は続けた方がいいよ。君とは常に対等の関係でいたい」と、思いがけない返事をもらいました。私を1人の人として認めてくれていることが伝わり、とてもうれしかったです。
夫は51歳で亡くなってしまいましたが、家事や子育てなど、あらゆる場面で協力してくれました。おかげで私は仕事を失わずに済み、定年まで働くことができました。今の自分があるのは、父と夫のおかげです。
恵那市初の女性自治会長に
周りに恵まれて今の自分がいる
平成20年から、地域の仕事に関わってきました。最初に取り組んだのが、恵那市の男女共同参画プランの策定です。ほかにも、都市計画や上下水道の整備、防災計画、子育て事業などにも取り組みました。地元、三郷町のまちづくりにも関わり、地域計画の策定や、自治区運営委員会の設置などを手がけ、現在は旧保育園の跡地利用を検討しています。
ここまで来るには、さまざまな困難がありました。「女のくせにって言われるぞ」と、忠告されたことも。役を受けていく中で、迷いは当然ありましたが、「途中でやめたら、そんなもんだったのかって言われるよ」とアドバイスをしてくれた人のおかげで、心の鎧(よろい)が外れました。私をちゃんと認めてくれる人がいることに感謝し、「言いたい人には言わせておけばいい」と腹をくくりました。
平成27年からは三郷町の代表として、三郷地域自治区会長を務めています。恵那市で女性が自治会長になったのは、私が初めて。「どうして私が?」と最初は戸惑いましたが、周りの人たちに支えられているからこそ、私はここにいられるのだと思います。
これまでの経験が発揮できればなにより。三郷町全体の把握を心がけ、さまざまな分野に常に向き合い、個人的な相談にも乗っています。自治会の仕事を分散化して、関わる人たちを少しでも楽にするのが課題だと思っています。
後継者の育成に取り組み
住みよいまちづくりを目指す
私の経験則ですが、思ったことは、我慢しないで言うべきです。けんかになっても「ごめんね」の一言で良い関係を築くことができます。
男性と女性の人口はほぼ同じなので、まちづくりは男女で取り組むべきだと思います。地域で女性を育てることも大切。場を踏んでいけば、誰でも自分の意見が持てるようになるはずです。少子高齢化がさらに進めば、子どもを産むために女性の力がさらに必要になります。
講演をすることもあり、終わった後に「あなたはまさしく男女共同参画」「男女共同参画の動く広告塔」と言われたことがあります。それぐらいに思われないと、私が担ってきた仕事はできません。
現在は、娘夫婦と孫2人との5人家族。父からは「あんたが家を継いでね」と言われていましたが、妹が家を継ぎました。現在は妹にも手伝ってもらい、高齢者の介護予防を目的とした「いきいき教室」や、学童保育などの運営にも、ボランティアとして取り組んでいます。野井総合会館を拠点に、地域の皆さんに支えてもらいながら、活動を軌道に乗せることができています。
当面は、現状維持で頑張るつもりですが、多方面で後継者が育っているので、これらの仕事を手放してからは、好きな手芸と旅行に没頭したいです。「大変だね」と言われることもありますが、人と関わることが好きなので、苦にはなりません。愚痴を聞いてもらっていても、話している内に愚痴の内容がどうでもよくなり、明日の仕事の方が気になってきます。
今後、さらに進む少子高齢化を踏まえ、安心して住み続けられるまちづくりを継続していくのはもちろん、私が引退した後もそうであるよう、道筋をしっかりつけるつもりです。