岐阜で活躍する女性の紹介
〜岐阜で活躍する女性からあなたへのメッセージ〜

エンターテインメント性の
高いダンスパフォーマンスで
踊る人とそれを見る人、
すべての人の心を躍らせたい


キッズダンスカンパニー「FunFunFun」代表
山﨑明美(やまざき あけみ)さん(美濃市)

【2019年4月25日更新】

山崎さんが率いるキッズダンスカンパニー「FunFunFun」のステージは、ストーリー性のあるダンスパフォーマンスで地元・美濃市や関市の記念式典や産業祭、イベントへの出演依頼が引く手あまた。また関市立板取川中学校「板取川Challengers」の顧問も務め、2017年の全国小・中学校リズムダンスふれあいコンクールで優勝の文部科学大臣賞受賞へ導きました。ひと際目を引くコバルトブルーの愛車でまちを走ると「あーけせんせー!」と地域の子どもたちが大きく手を振ります。

イベントに引っ張りダコ
土日祝は「オババ」で大忙し

 「FunFunFun」は2005年に設立。現在5〜65歳まで120人の会員が所属し、美濃市や関市で13クラスのレッスンを開講しています。また選抜メンバーによるダンスパフォーマンスは、多くのイベントから出演依頼を受けています。フラッシュモブ(※)も取り入れて地域の祭事やイベントを盛り上げています。私も「オババ」というキャラクターに扮して、催事やイベントなどいろんな場面に登場し、さらに司会も務めます。
 2014年の美濃市市制60周年記念事業では、美濃市伝統の祭「花みこし」をテーマにしたミュージカル&ダンス「未来(あした)へ」で脚本、演出、そして主演を務めました。各地域の産業祭や文化祭などへも出演し、今年は自転車競技の国際大会「ツアーオブジャパン美濃ステージ」でオープニングダンスを踊りました。発表会とは違う大舞台を経験できるのも特徴です。
 ※不特定多数の人が1つの場所に集まり、何らかの共通の行動を一斉にすること

エンターテインメントとして
ダンスを見せる演出で受賞

 私の演出や世界観は独特で、よく「変わっているね」と言われます。私の信条は「心が躍らなければ、身体は踊らない」。ですから、コンクールでもダンステクニックよりもストーリー性やエンターテインメント性に力を注いできました。それが印象に残ると評価されて「特別賞荒らし」との異名もあるほどです。今年はダンス顧問を務める関市立板取川中学校の「板取川Challengers」が全国コンクールで優勝し、あの竹内涼真さんが「感動した!」と生徒をハグしてくれました。私もうれしかったですね。みんなが「学校に先生の銅像を建てます!」と言ってくれたり、姿が見えなくなるまで先生たちが見送ってくれたりしてくださいます。今後は、ダンスをしない人が見ても楽しくてたまらないステージを作る一方で、基本に戻り、ダンスに必要な体幹を鍛え、体作りを重視したレッスンの導入を考えています。

いまは家族の絆を
感じられて幸せです

 私がダンスを始めたのは12歳のとき。虚弱体質で、学校では「ブサイク」と言われていじめられていました。でも、その孤独感や悔しさが踊りの世界へとのめりこませたのです。あるとき発表会を見に来た父が「笑顔がすごくいい!」と褒めてくれました。初めて自分に自信が持てたんです。高校卒業までレッスンを続け、名古屋の専門学校でダンス留学科に進学。「タレントになって有名になれ」という先生の紹介で卒業後は単身上京し、芸能プロダクションに所属しました。ケーブルテレビの番組の司会やコンサート出演、声優業も経験。夫と出会って27歳で結婚し、芸能界を引退しました。
 東京で新婚生活を始め、29歳で出産しました。その娘が2歳になった頃、主人が事故に遭いました。私は夫と子どものために、自然あふれる環境を求めて岐阜に戻ることを決意しました。夫は私の実家の家業、車の板金塗装を手伝うことに。しかし、主人は慣れない土地でストレスからくるうつ病、そして難病を発症します。でも私ができる仕事といえばダンスだけ。そこで、「FunFunFun」を立ち上げ、近隣のコミュニティセンターで子どもたち20人のレッスンから始めました。私のシンボルである愛車は「宣伝になる」と主人が塗装してくれたものです。ヒップホップブームやダンスが定着していった時代の後押しもあり、スクールは順調に成長。現在13年目ですが、この間、家庭の中では思い出すのも辛い出来事がたくさんありました。
 まず夫の病状が不安定になった時期があります。さらに2年前には私が子宮ガンの手術を受けました。夕食時に私が不在の日が週4日はあり、現在8歳になる息子を叱ってばかりいたのです。ついに昨年、息子が「『用水に飛び込んで自殺する』と言っている」と学校から連絡がありました。駆けつけた私は「ママも死ぬ」と泣き叫びながら思いとどまらせました。この事件で、もっと子どもたちと一緒にいる時間が必要だと猛反省しました。
 最近は主人の病状も安定し、息子を連れて釣りへ出かけることもあります。釣った魚は主人が刺身などで腕を振るいます。家族揃って食卓を囲むとき、心の安らぎを感じることができて幸せを感じます。いろんなことを乗り越えてきた家族だから、これからはもっと幸せになれる予感がする今日この頃です。

夢は美濃の映画づくりと
主演・演出する舞台の再演

 家族と一緒にいる時間を増やすためアシスタントの増員も考えていたところ、14歳になった娘が、障がいがある5〜14歳までのレッスンを手伝ってくれるようになりました。責任を感じつつもうれしそうで、頼もしい限りです。障がいがある子どものレッスンは私自身、やりがいを感じています。彼らは私が弱って落ち込んでいる時には必ず寄って来てくれるんです。優しくて可愛い子ばかりで、障がいのある大人のクラスも充実させたいと考えています。
 ダンスがもつ力は本当に本当にすごいんです。私には、いつか美濃市の映画をつくりたいという夢があります。また市制70周年記念事業があれば、「未来(あした)へ」を再演したい。より進化した舞台を市民のみなさんに見ていただきたいですね。