関信用金庫各務原支店で次長として活躍する渡邉裕子さん。女性職員が長く務めることが少なかった入庫当初、そして男性ばかりだった役席への挑戦など、さまざまな機会を経て、現在、後進の育成にも力を入れながら日々の業務を進めています。
約30年前に入庫
慣れない土地に苦労した日々
父も母も信用金庫職員だったので、就職活動中、自然と同じ職業を選びました。求人票を見ていて、「信用金庫には1週間の連続休暇がある」という言葉にひかれたのもあります。高校3年の夏休みまで、進学する予定でしたが、進路について両親と意見が分かれたこともあり、特に準備をすることなく、急いで就職活動をしていたのを覚えています。
入庫すると、岐阜市にある長森支店に配属されました。関市出身の私にとって、土地勘のない岐阜市での仕事は大変でした。外回りの営業で迷子になったり、お客さんに帰り道を訪ねたりするような状態でしたね。仕事は厳しかったけれど、先輩のフォローがとても厚く、たくさん助けてもらいました。食事や旅行など、金庫内でのコミュニケーションがとれていて辞めたいと思ったことはありませんでした。
憧れの先輩の姿を見て
幅広い仕事に挑戦
入庫当初、助けてくださった先輩方の姿を思い出し、さらに自分自身が先輩になったときには、後輩とのコミュニケーションは常に考えるようになりました。
私には10歳ほど年上の女性の先輩がいました。特にその先輩の影響が大きくて、「私もいつか!」と思いながら仕事をしてきました。当時、女性は預金担当ばかりでしたが、私は預金や融資などさまざまな部署や本部での仕事も経験。女性で融資を担当することが珍しい時代だったので、自信になりました。入庫から10年が経った頃、金融業務に関する試験がありました。その先輩が誘ってくれ私も挑戦。関信用金庫では、その先輩と私が女性で初めて合格したのです。その先輩は、金庫内でいろいろな道を切り拓いた存在。時代背景もあり、その先輩は管理職まではいけませんでしたが、目指す姿が近くにあったことが私にとって大きいですね。もう退職されていますが、「あなたは頑張って」と声をかけてくださったことで、ここまで続けてこられました。私が営業店で管理者になったときは、ものすごく喜んでくださいました。
初めての役席を経験
誰にも負けない知識を身につける
平成10年初めて役席に就き、その後は預金だけでなく、本部の事務統括部と監査部の業務も経験しました。中でも事務統括部への配属は大きな転機でした。事務統括部では、預金役席を取りまとめたり、事務に関する規定・取扱要綱を見直し、必要な場合は一から作り直すこともありました。当時、預金についての知識は金庫一になることを目標に一生懸命勉強しました。預金担当役席を10年経験した後、営業店の融資担当に戻りました。昔から、業務についての改善点はその都度、本部にあげていくタイプ。私は、これまで預金、融資、事務統括、監査と、多くの部署を経験したことから、これを活かし様々な角度から考え、全体的な目で物事を見て提案するように心がけています。
金庫内外で気軽に相談を受ける
そういった存在になりたい
管理者として任命される2年前に、千葉県での研修に参加しました。そこで他信用金庫の女性役員の方が講演をされ、「信用金庫は町のホームドクター」というスローガンを掲げられていると伺いました。どんな相談でも気軽にしてもらえる町医者のような存在であるべきとおっしゃっていたのに感銘をうけ、今でも私のモットーです。また、金庫内で働く女性には、異性の上司や同僚に相談しづらい悩みもあります。「男性には話せない...」といったことを感じ取って声をかけるようにしていきたいし、相談できる雰囲気づくりにも力を入れています。
ずっと仕事中心の生活をしてきました。夫婦2人の暮らしなので、それぞれの仕事を第一にしています。家事は基本的には私が担当していますが、お惣菜を買うなど、上手に手を抜いています。若い女性職員にも、「手を抜けるところを見つけるのが大事」と伝えています。各務原支店に赴任したとき、滝口長太郎氏の「打つ手は無限」という言葉を上司からもらいました。壁にあたったとき、何か解決方法はないか、何か手はないかと諦めないことを意味しています。周りを頼って解決することが大事だと知りましたね。どんなときも、解決策は必ずあるので、どんどん相談にもきてほしいなと思います。
唯一の趣味は、韓国ドラマを見ること。休みとなれば、一日中見ていますよ。それが息抜きになって、また月曜日から仕事に力が入るんです。