東日本大震災をきっかけに、災害ボランティア活動を始めた伊藤三枝子さん。
清流の国ぎふ女性防災士会を立ち上げ、女性目線、暮らし目線の防災について考えています。
防災士としての知識に、女性ならではの意見をプラスしてセミナーや勉強会で紹介。
不安が多い非日常の生活で、すべての人が少しでも安心できる防災を目指します。
災害ボランティアに参加
防災の勉強を始める
私が初めてボランティアに参加したのは2011年、東日本大震災の時です。当時は夫の仕事の都合で京都に住んでおり、学童保育で障がいがある児童の介助員をしていました。東日本大震災の発生後、働いていた施設では避難所に向けて物資支援を送っていましたが、ノウハウがなく、障害を持った方への支援活動はできませんでした。
個人として、宮城県石巻市や陸前高田市、気仙沼市の避難所でボランティアに参加。被災者やまちの様子を見て、被害の大きさに心が痛みました。「ありがとう」とよろこんでくれる顔が嬉しく、「もっと幅広く、多くの人の力になりたい」と考えるようになりました。
2012年に大垣市へ戻り、大垣市防災ひとづくり塾の4期生として防災について学びました。驚いたのは、津波の速さがジェット機並みだということ。一瞬で、たくさんのものを奪っていきます。災害が落ち着いた後、生活再建には何が必要かなど、重要な知識を得られる機会になりました。
災害時の不安を話し合う
女性防災士会を設立
防災について学ぶ中で感じたのは、いざという時に何が必要か、どう行動するべきか、人によって必要なものが異なることです。例えば食物アレルギーがある人は、避難所での食事が困難。「自宅に非常食を準備していても、外出中の災害が不安」という人には、かさばらないアレルギー対応食を1食分カバンに入れておくようにお勧めしました。
非日常の中でもすべての人が心穏やかに過ごせる防災を目標に、まずは暮らし目線、女性目線の防災に力を入れようと考えました。
「女性の防災とは、具体的に何か」とよく聞かれます。私は家具の固定対策や、冷蔵庫の食材処理といった細かな部分だと思っています。女性の目線は、避難所から戻ってきた後の日常にも向けられています。「家具が倒れて、ガラスが割れていたら」「停電して食材が腐ってしまったら」。そんな思いを抱えたままの避難は、ただでさえ大きい不安をさらに増幅させてしまいます。災害が起きてから慌てて避難所に向かうのではなく、普段から準備をしておくのが重要。台風のように予想できる災害は、ニュースを確認しながら計画的に避難できると安心です。
また、避難所では多くの我慢を強いられます。十分に顔も洗えず、メークができないと気分が沈みます。防災セットに、ふき取りタイプの洗顔と、マスク、アイブロウを入れておくと、素顔をさらさずに済み、心が軽くなります。
幅広い活動を通じて
ネットワークを構築
不安を語り合い、対策を考えるため、2017年に立ち上げたのが、「清流の国ぎふ女性防災士会」です。地域防災・減災を主体的に担う人材を育てる「げんさい未来塾」の1期生として活動しながら、準備から設立までを行いました。
普段の生活からアウトドアの知識を取り入れ、いざという時に備える「アウトドア防災」や、避難所運営を模擬体験する「HUG(避難所運営ゲーム)」の防災講座、子どもの心のケアを学ぶセミナー、フェスティバル参加、勉強会など、女性防災士会は幅広く活動をしています。依頼を受けて、講師として県内各地に出向く場合もあります。
現在所属しているのは13人ですが、出産などのライフイベントや仕事が理由で、なかなか活動に参加できないメンバーもいます。足が遠のいて、申し訳ないからと退会してしまうのではなく、何年後になっても、「お待たせ」と笑顔で戻ってこられる会を作りたいと考えています。
活動の中で、多くの人との繋がりが生まれつつあります。いざという時、迅速に現場に向かい、フォローできる体制を作るには、普段からのネットワーク構築が重要。「やらない理由はない」という思いを念頭に、できる限り依頼を断らないようにしています。
決めた範囲で集中
出来る事を出来るだけ
私のモットーは、「出来る事を出来るだけ」です。何事にも集中して取り組みます。活動と家庭の両立で必要なのは、線引きをハッキリさせること。しかし、その線引きも「こうでないといけない」と理想を高くしすぎると、目標を達成しないままだらだら作業を続けてしまいます。目標を高くしすぎず、「今日はここまで」と決めてやり切るのがコツです。
夫も私の活動を理解してくれていて、泊りがけでのセミナー参加でも快く送り出してくれます。夫婦そろって山歩きが好きなのですが、最近は女性防災士会の活動機会が増え、なかなか行けていません。時間を見つけて、また山歩きをしたいと思います。