飛騨高地の中央に位置する位山。飛騨の一宮、飛騨一宮水無神社の御神体であり、神々が舞い降りた霊峰として名高い山には、スキーやハイキングなど年間を通して観光客が訪れます。そのふもとにある「プチホテル&レストラン ホワイトルンゼ」を営む熊本ゆうこさんは、ブライダル事業を始めたり、アレルゲンフリーのスイーツを開発したりと、新たなビジネスを展開しています。
自分がやってみたいことを
挑戦できる環境は実家にあった
私の父は九州出身。スキーが趣味で、高山市内の位山スキー場でルンゼというロッジをはじめました。昭和63年12月にリニューアルオープン、それが現在のホワイトルンゼになります。
私は元々教員を目指していて、ホワイトルンゼで働くとはあまり考えていませんでした。岐阜大学教育学部化学科に進学すると、さらにやりたいことがたくさんできました。就職活動の際には、量販店の市場調査から商品開発、販促活動までを担うマーチャンダイザーをはじめ、接客や開発といった仕事を中心にいろいろ見て回りました。接客をしたいと思ったのは、ホワイトルンゼを手伝った経験から。お客さんの喜ぶ姿を間近で見られる、とても楽しい仕事だと知っていたんです。
結果として選んだ就職先はホワイトルンゼ。両親を手伝いたいという思いはもちろんありましたが、自分の力でさまざまなことに挑戦できるのも魅力でした。そこで、24歳から東京の国立市にある調理学校「エコール辻 東京」に進学。フランス・イタリア料理、製菓を学びました。目的がはっきりしていたので、在学中はいつも地元の食材を使って、何をつくるか考えながら授業を受けていました。りんごをアップルパイに、とちみつ(栃の木の花の蜜)はケーキに使いたい。では、たくさんつくるためにはどうすればいいか。オールシーズン用意するには。そんなことを念頭に置いていましたね。
土台としての技術を身につけるために学校には通いましたが、どこかのお店に入って修業はしていません。その分、オリジナリティーが磨かれたと思うんです。
多くの人に助けられて
ブライダル事業をスタート
ホワイトルンゼで働き始めてからは、楽しいことをどんどんしていきたいとさまざまなイベントを行ってきました。宿泊してくれた人でロケーションを気に入ってもらえて、音楽イベントやヨガ教室など開きたいと申し出ていただいたこともあります。
そんななか、2002年、新たな試みとして『高原のレストランウエディング』をスタートしました。これは、レストランへいつも食事に来るお客様が、「ホワイトルンゼで結婚式を挙げたい」といってくれたのがきっかけ。ただ、結婚式を開くには音響スタッフや司会者など、宿泊やレストランで関わらないスタッフが必要。配膳スタッフも臨時で人を集めなければなりませんでした。幸い、イベントで交流があった人など、多くの人が快く手伝ってくれて実現に向けて動いていきました。
しかし、ブライダル事業については、何もかも初めて。定員は何人なのか、テーブルやイスは何セット用意できるか、スムーズに接客できるかなど、すべて未知数でした。結婚式は一生に一度の晴れ舞台ですので、失敗は許されません。そこで、依頼者より先に、結婚予定だった弟に頼んで、東京で式を挙げた後、ホワイトルンゼでも改めて結婚式をしてもらいました。臨時スタッフもがんばってくれて、式は大成功。相手のご家族もとても喜んでくれました。
以降、私がウェディングプランナーを務め、「こんなことをしてみたい!」という要望にできる限り応え、70組以上のカップルの結婚式を催してきました。そんなお客様と一緒につくり出していく結婚式が評価され、親せきや上司、友人として参加した人から口コミで広がっていったのはうれしかったですね。
試行錯誤の末に生まれた
笑顔を生むスイーツ
2013年、ホワイトルンゼで結婚式を挙げた夫婦から連絡がありました。その内容は、お二人の間に生まれた子どもの初めての誕生日に、おいしいケーキを用意したいというもの。しかし、問題なのは、その子が重度のアレルギーを持っていて、卵や乳製品、小麦粉、アーモンド、大豆といったお菓子作りに欠かせない材料が食べられないということでした。
依頼を受けてから、試行錯誤の繰り返しでした。レシピはなく、限られた食材の中でおいしく作るのは至難の業。米粉に米油や菜種油、ココナッツミルクを加え、何度も配合を変えてチャレンジしました。最初はタルトも石のような固さになってしまいましたが、失敗にめげず挑戦を続け、ほど良い固さに焼きあがる黄金比を発見。「奇跡の配合」と呼んでいます。米粉のスポンジケーキもふんわり焼き上げることができるようになりました。
食材自体も信頼できるところから仕入れなければなりません。地元産の米粉や宿儺カボチャ、友人が作ったイチゴなどを用意。また、普通のスイーツを作る時の食材がわずかでも入らないように、掃き掃除を3回、拭き掃除を5回、アルコール消毒を10回と徹底しました。そうして作ったものの、小さな欠片を食べてもらい、経過を観察。依頼者の子どもの2歳の誕生日に、ようやく誕生日ケーキをお送りすることができました。
写真を送ってきてくれたのですが、飛び跳ねながら喜んでくれたようで、大変でしたがやってよかったと心が温かくなりました。
アレルギーでほかの子どもと同じものが食べられない。「おいしい」と喜ぶ気持ちを、感じてほしい。そう悩む親はたくさんいます。アレルゲンフリーのスイーツは、インターネットや口コミで評判になり、多くの問い合わせをいただくようになりました。私も、もっと喜んでほしいと開発を続けて、事業を拡大。チョコムースやイチゴムース、カップケーキ、クッキー、プリンなど、バリエーションを増やし、2017年には専用の調理室を作りました。2018年には米粉のカップケーキが「ぎふ女のすぐれもの」に認定され、ギフトやおやつ、お中元、お歳暮など、さまざまな機会で求められるようになりました。
家族に支えられながら
忙しい日々は続く
忙しい日が続きますが、そんな私を家族が支えてくれています。私は夫と長女、長男の4人家族。私がそうであったように、子どもたちにも家事やホワイトルンゼを手伝ってもらっています。長女は私と同じ調理学校に通い、今年フランスに1年間留学する予定です。長男も小さな頃から皿洗いや掃除などをしてくれて、私は無理することなく、仕事と家事をこなせているんです。
あと、空いた時間に趣味と実益を兼ねて、神社めぐりをしています。もともと、ホワイトルンゼのある位山は神の山と知られていますが、私もそのパワーを信じています。結婚式を挙げるカップルには、「当日は晴れをイメージしてください」といっていますが、今までに雨が降ったのは1組しかいません。「人事を尽くして天命を待つ」が私のモットーですが、一生懸命がんばっていれば、天も味方についてくれます。そのお礼をするために、神社に通っているんです。
今後もやりたいことはまだまだあります。隣の建物を工場と、アレルギーっ子と宿泊ができる施設にしたいですし、米粉クッキーを海外に輸出し、世界に飛騨高山の米、日本の米のおいしさを発信したいと思っています。自分のもとに来た依頼は、チャンスと捉え、七転八起の精神でめげることなく常に挑戦していきたいですね。