岐阜で活躍する女性の紹介
〜岐阜で活躍する女性からあなたへのメッセージ〜

「里親家庭」が
一つの家庭のカタチとして
認知されたら素晴らしい。
その実現に力を尽くします


社会福祉法人 日本児童育成園 子ども家庭支援センターぎふ「はこぶね」 里親支援専門相談員
川嶋久美子(かわしま くみこ)さん(岐阜市)

【2020年8月 3日更新】

兵庫県高砂市で生まれ、社宅で育った鍵っ子の川嶋さんは子どもの頃から年下の子どもの面倒見が良く、一緒に遊んでいました。そのせいか小さな子どもが大好きで将来は保育士を夢見ていたそう。ところが中学2年生の冬、阪神淡路大震災が発生。被害に遭った子どもを見舞う衝撃的な体験をしたことで、保育士ではなく児童心理や児童福祉に関わる仕事に心が傾いていきます。

仮設住宅の男の子が記憶に
児童福祉への進路を決意

 阪神淡路大震災後、私が訪ねたのは仮設住宅に祖父母と暮らす5歳位の男の子でした。それまでに自分が遊んできた子どもと雰囲気も表情も全く違い、笑うことを忘れたようでした。心が凍ったように冷たく寂しいその子の顔は今も忘れられません。
 震災により児童心理や児童福祉に関わる仕事に興味を持ち、その後神戸連続児童殺傷事件が発生して子どもや家族が抱える闇がニュースやドラマで取り上げられて、児童福祉とはどんな仕事なのか、ますます興味がわいて必要な資格を調べ、日本福祉大学へ進学。卒業後はここ社会福祉法人日本児童育成園に就職し、保育士として概ね2歳~18歳までの子どもたちと一緒に生活し始めました。

子どもはどんな親でも一緒にいたい
親子分離を未然に防ぐのが大事

 児童養護施設 日本児童育成園は、貧困・虐待・保護者の精神疾患などが原因で子育てが困難となり、親子分離が必要になった場合に子どもをお預かりします。
入職初日にいきなり男の子に「お前、いつ辞めるんだ?」と聞かれ戸惑いましたね。その子は家族と別れた上に、大好きな保育士が辞めたばかり。「お前なんか絶対信じないぞ!」という、彼の感情や傷だらけの心の叫びがひしひしと伝わってきました。その後3年間は入所児童と暮らしましたが、地域の子育て支援を行う子ども家庭支援センターぎふ「はこぶね」へ異動に。
ここは子育ての不安や悩みの相談に応じて共に考える機関で、保護者の入院、育児疲れ、仕事の出張などで申請すれば子どものショートステイや下校時から20時頃までお預かりするトワイライトステイが利用でき、親子分離する前段階で支援するのが目的です。育成園からの異動に初めは葛藤がありましたが、子育て短期支援事業に携わって、親子分離を未然に防ぐことの大事さが理解できてやりがいに変わりました。

産休育休の間もキャリアを積み
未開拓の里親支援専門相談員に

 2009年に結婚し二人の子どもを出産しましたが、その間を縫って仕事に復帰し、保育士のほか、児童養護施設日本児童育成園(本園)の家庭支援専門相談員として入所している子どもと親との面会や外泊、最終目的である引取りまでを調整のほか、新しく入所する子どもと保護者、または家庭の問題を聞き取り、相談に応じて支援が受けられるように申請を促すソーシャルワーカーとして勤務。2013年に現在の里親支援専門相談員として里親支援事業に携わりましたが、第二子の産休育休に入り、2015年に復帰後、本格的にその仕事に取り組みました。
全国で施設や里親の元で育つ社会的養護の中にある児童は約4万5千人います。県では今、家庭的養護推進計画を打ち立てて、子どもが家庭において適切な養育を受けられない場合には、より家庭に近い環境の中、生活できるよう里親等への委託を勧めていますが、里親委託率はまだまだ低く、県もその増加に注力しています。
岐阜県の里親支援専門相談員県は現在12人。まだまだ未開拓の仕事ですが、18歳まで施設と同様の役割を果たす養育里親と養子縁組を行う養子里親に関わります。
里子は安心を勝ち取るまで里親を試すんです。わざと怒られるようなことを繰り返すので里子も里親も疲弊するのですが、そのとき相談員は里親の愚痴を聞き相談に乗るなど、感情のはけ口にならねばなりません。子どもが安心して大切にされる体験ができるように導かないといけない。里親に子どもに自己肯定感や主体性を取り戻してもらうために超えなければいけない試練であることを伝えるのは大変です。また、幼児がある日突然、おじいちゃんとおばあちゃんと暮らすことになる場合も。お互いわけがわからないので相談に乗りますが、大人の方が変われなくてそこに力を要しますね。
また、現代では真実告知が推奨され、血縁関係がないことを子どもが3歳頃になると告知します。私は、母子家庭、父子家庭、ステップファミリーがいまでは珍しくないように、縁あって結ばれた里親子をそうした家庭の一つ、という捉え方になればいいと思っていて、近い将来、「私は里子なの」と自分を平気で語れる社会になればいいな、と思っています。

我が子はゼロ歳から保育園に
「でもいつも気にしているよ」

 我が子に関してはゼロ歳から二人とも保育園通いです。第二子が誕生した頃、私の実家は遠く、義母は病気で、夫も私も毎日退社時間が遅く、手を打たねばと思っていたとき、夫が転職してくれて、助かりました。それでもやはり4人が揃って過ごす時間は少ないので、「あなたのことはいつも気にしているよ」というメッセージは子どもに常に伝えていて、食事は絶対自分でつくるようにしています。母としても人生においても先輩であるセンター長に「親が一生懸命仕事をする姿を子どもは見ているから大丈夫」と励ましていただき、少し心が軽くなりました。子どもたちには好きなことや、何かやりたいことを見つけてほしいと願うばかりです。