サラリーマン家庭から、トマト農家に嫁いだ熊﨑美保子さん。農業では全国初となる「夫婦別経営」で花の栽培を始めました。2000年には有限会社花のくまさんを設立し、代表取締役に就任。これまでに農林水産省の「食料・農業・農林・農業基本法」審議委員会専門委員を務め、現在は岐阜県女性農業経営アドバイザー、中津川市農業委員として活躍するなど、女性農業経営における先駆者として、さまざまな挑戦を続けています。
「自分の居場所がほしい」
夫の理解を得て、新事業を担当
生まれも育ちも中津川市加子母地区。JAに就職し、営農課で経費関連の仕事をしていました。私生活では、地元の青年団に参加。青年団の活動の一つである演劇では、県大会で最優秀賞を受賞し、全国大会に出場しました。この青年団活動で知り合ったのが夫の勝彦さんです。
勝彦さんは代々続くトマトの専業農家の長男で、両親と祖母の4人暮らしでした。22歳のときに結婚してすぐ子どもに恵まれ、子育てに専念。その後双子も生まれて、3人の子育てが落ち着いたころ、シクラメンの栽培を始めることにしました。
普通なら家業を手伝うところですが、家の外でも中でもトマトの話ばかりになってしまうのが嫌で、それは避けたかったんです。自分の居場所がほしくて、「経営主は勝彦さんでいいから、何か別の仕事をさせてほしい」と夫に相談しました。夫は病気や天候不順などでトマトが収穫できなくなるリスクを考え、トマト以外にもう一つ柱をつくりたいと、閑散期である冬期を活かしたシクラメン栽培を考えていました。しかし実際はトマトで手いっぱいの状態で、私にシクラメンを任せてくれることになりました。
夫が私の気持ちを応援してくれたのは、農業大学校での経験も関係しています。飛騨の農家での研修中、農作業と家事に追われる女性の姿を見て、「女性がやりがいを持って働ける環境を作りたい」という思いを持ったそうです。農家の嫁といえば、家業を手伝うのは当たり前な時代でしたから、夫が時代の一歩先を行く考え方を持ってくれたことに感謝しています。
夫婦別経営の高い壁を乗り越え
10年で経営者として独り立ち
私が責任感を持てるように、夫が夫婦別経営にしようとしたところ、税務署から「農業において税法上は無理」と言われました。夫婦で経営を分ける農家は日本初だったようで、認めてもらうのに苦労していましたね。当時の私は世間知らずでしたから、難航していると聞いても大変さがよく分からず、すべて夫任せでした。
税務署の対応と並行し、先輩農家の方に教わりながらシクラメンの試作を開始。まったくの初心者でしたから、肥料の基礎知識である窒素・リン酸・カリウムの話に始まり、先輩から教えてもらった知識や技術は、夫がわかりやすく私に伝えてくれていました。
当時はちょうど、農林水産省で男女共同参画を進めようとしていたころ。そのため体験を話してほしいという依頼がたくさん舞い込み、全国各地から呼ばれては、講師を務めていました。全国初の夫婦別経営者として名前が一人歩きしていく中で、経営者として未熟な自分にギャップを感じることもありました。
始めて3年目くらい過ぎた頃、「そんなこともできないで、経営者って言えるの?」という夫の一言に、「なら全部自分でやる!」と決心。繁忙期には子どもが寝ている朝3時、4時に起きて、一人で作業していました。春の大型連休や盆、正月には、長男の嫁として帰省してくる親戚たちの世話もありましたから、とにかくがむしゃらに日々を送っていましたね。10年ほど経った頃、やっと独り立ちできた気がしました。サントリーグループの一つであるサントリーフラワーズと契約して春の苗物栽培も手掛け、生産者大会では2度表彰を受けました。
最初は私の仕事に否定的だった義理の両親。「この仕事は、美保子だったからできたな」と義理の父が夫に話したそうで、認めてくれたんだと思うとうれしかったですね。
子どもは「できないことが
当たり前」で生まれる
子どもが1歳半のとき、児童相談所の方に「小学校・中学校に通う際は特別支援学級で授業を受けること、高校進学は無理かもしれない」と言われました。
中学卒業後すぐに社会へ出なければならない可能性を踏まえ、どんな子に育てればいいんだろうと悩みました。そして行き着いたのが、「生きる力を持った子どもに育てよう。幼いからといって、何でもやってあげるのが子育てじゃない」という考えだったんです。
そこで愛情を注ぎ、目をかけ、気を配っても、手や口を出さないようにしようと心に決めました。たとえば、保育園に入ってようやく話せるようになった娘から、「料理のお手伝いをしたい」と言われたら、「何々をして」と伝えるのが普通だと思います。でも私は、「自分で見て考えて」と突き放していました。その場の状況を見て、自分で考えて行動できるようになってほしかったのです。わからないこと、できないことがあって、躓くのは辛いことです。でも小さなうちから躓くことに慣れていれば、躓いたってそこから立ち直れる、めげない子に育ってくれるはずと思いました。
娘からは嫌われるかもしれないけれど、子どもの成長のためと吹っ切れていました。子ども達が親になり、子育てするときになれば、私が何を伝えたかったかを理解してくれると思います。
今現在、子ども達は実家暮らしで、同居している義理の両親も健在ですが、将来夫と二人きりになったときを想定して、二人で何か楽しめることを考えています。パワースポット巡りが好きで、時間を作っては一人で全国各地に足を運んでいた私。最近は夫も誘い、旅先で「きれいだね」「おいしいね」など、気持ちを共感するようにしています。
流通に向かないトマトの活用で
廃棄削減と地域貢献を目指す
2005年に降った大雪でハウスの多くが潰れてしまったことから、単価が下がり続けているシクラメン栽培をやめようと思い立ち、2008年に餅類(大福もち)や弁当を製造する工房を立ち上げました。製菓衛生師の資格を持つ長女が、一社員として働いてくれています。
いまは、餅類や弁当類に加えて、過熟や奇形など流通に向かないトマトを加工するための工場を建設していて、2020年5月に完成、6月から稼働予定です。すぐ料理に使えるよう、トマトの湯むきやカットを施して販売しようと思っています。
中津川市では、給食に地元産食材の使用を推進していますし、ご当地グルメとして「とりトマ丼」を提供している地元飲食店では、トマトをよく使用しますから、ニーズはあると踏んでいます。食べられるのに廃棄されていた野菜を活かすことで、地域貢献につながればとも考えています。
これまで色々なことに挑戦するなかで、たくさんの壁にぶつかってきました。うつのような状態になった時期もありましたが、「今はエネルギーを溜める時期なんだ」と気持ちを切り替えられるようになってからは、楽になりましたね。嫌なことにとらわれていては、良いことがあっても、気づけなくなってしまいますから。
いま関心があるのは、リニア中央新幹線の開通。東京まで60分程度で行けるようになりますから、中津川で朝作った商品を東京で売れるようになりますよね。商品の購入者が中津川に興味を持ち、足を運んでくれる機会も増えるはず。人やモノの動きが活発になることを考えると、わくわくしますね。何をチャンスと捉えるか、アンテナを張ることを経営者としてこれからも大切にしていきたいです。