岐阜で活躍する女性の紹介
〜岐阜で活躍する女性からあなたへのメッセージ〜

仕事に趣味に
精力的な日々
お客さまとの出会いを刺激に
成長をしていきたい


第一生命保険株式会社 岐阜支社 課長
村瀬理悦子(むらせ りえこ)さん(岐阜市)

【2021年9月 8日更新】

入社以降、さまざまな部署を経て、現在はFP(ファイナンシャル・プランナー)として法人営業に携わる村瀬理悦子さん。地域企業を訪問し、生命保険を活用した福利厚生制度などを提案しています。仕事と家庭を両立し、新たな職種にも積極的にチャレンジする姿は次世代にとってのロールモデル的存在です。

37歳でFPにキャリアアップ
顧客からの刺激を成長の糧に

 高校卒業後に第一生命保険株式会社に入社しました。総務として給料計算をしたり、窓口でお客さま対応したりとさまざまな担当を経て、37歳で法人営業をサポートするFP(ファイナンシャル・プランナー)にキャリアアップ。さまざまな業務を経験する中で保険の知識は持ち合わせていましたが、営業の経験はなく、「自分にはできるのだろうか」と不安でした。当時の私は運転する機会がほとんどない、ペーパードライバー。ナビ付きの車を購入し、休みの日は助手席に夫を乗せ、運転の練習をしながら訪問先までの道のりを確認していました。
 この仕事の喜びは、普段ではなかなかお目にかかれないような方々とお会いできること。特に、会社を経営されている方々は豊富な知識をお持ちで、刺激を受ける日々です。常に成長していきたいと考え、積極的にセミナーに通ったり、本を読んだりして情報をアップデートするよう努めています。最近では、100年時代の人生戦略をテーマとした『LIFE SHIFT』(東洋経済新報社)やフードイノベーションについての良書『フードテック革命』(日経BP社)などを読了しました。

働き続けてこられたのは家族の支えがあってこそ

 23歳で結婚し、24歳で第1子を、26歳で第2子を出産。当時は産前産後休暇制度が今ほど整備されておらず、陣痛の間隔を図りながら働くなど、タフな先輩女性社員もいました。私も出産ぎりぎりまで働いていましたし、産後は8週間で復帰しました。
 働き続ける決心をしたものの、「子が幼いうちは、そばで成長を見守りたい」と自身の選択に迷いがなかったわけではありません。幸い、私が不在でも子どもが寂しがることは少なかったのですが、私が帰っても知らんぷりをされたときは、複雑な気持ちになりました。
 働き続けて来られたのは、サポートしてくれた家族のおかげ。実母、義母は家事や子どものしつけなど生活全般をサポートしてくれました。夫はもともと料理や洗濯などに興味がなかったですが、私も働きに出ていることから、進んで家事をするようになりました。今は、積極的に家事をする「イクメン」という言葉が一般化しつつありますが、夫は元祖かもしれません。家計簿をつけるほどの徹底ぶりで、今でも家事をしてくれています。
 自分が上機嫌であることが家庭円満の秘訣。仕事や家事に追われ不機嫌になり周囲に害を及ぼすくらいなら、他を頼った方が良い。自分がすべて背負う必要はないと思います。

後輩の育成と労働環境の整備に注力

 大都市などに比べ、転勤の少ない地方都市では、お客さまとの長きにわたるお付き合いが可能です。ニーズを伺い、お客さまの満足度向上に貢献するFPの存在は今後も不可欠であり、後輩の育成に力を入れていきたいと考えています。当時の私がそうであったように「私にはFPを務められるような力量がない」と自身を低く評価しているスタッフも多いと思います。社内の優秀な人材をFPとして積極的に登用し、更なる活躍を後押ししたいですね。
 業務と並行して、2019年から「第一生命労働組合」岐阜内勤職支部の委員長を務めています。弊社では毎週水曜日を「ワーク・スマート・デー」と定め、定時退社を推奨するほか、テレワークを導入しています。こういった制度は、名ばかりではなく実効性がなくては意味がありません。「支社をよりよくしていこう!」と前向きな気持ちで会社と対話を重ね、労働環境の整備に注力しています。

療養期を前向きに捉え趣味の絵画に没頭

 2011年にがんと診断され、長期にわたっての療養を余儀なくされました。打ち込むものを失いましたが、「この機会は私に学びを与えてくれるための時間」と気持ちを切り替え、マナー研修やイメージコンサルタントの勉強に時間を充てました。
 療養期間中には、かねてから興味のあった絵画の知識を深めることができ、体調がよくなってからは、東京や京都などの美術展に足を運ぶようになりました。1日に3~4カ所の美術展を巡ることもあり、年間で40カ所ほど訪れています。美術で得た知識が営業先で役立つことも。アートへの造詣が深いお客さまだと、会話がよりはずみます。近い将来は美術作品を見に、海外にも足を運びたいと考えており、また自身でも作品を手がけてみたいとひそかな夢を抱いています。