ラジオパーソナリティーやテレビレポーター、イベント司会者として活躍する橋本めぐみさん。昨年はコミュニティーFM局で、地域に根ざした新型コロナ関連の情報番組を企画して、注目を集めました。一般社団法人日本コミュニケーション機構のシニア認定講師として、多くの研修やセミナーも受け持っています。
世の中に愛を伝えることを信条にラジオやテレビの仕事に臨む
小さい頃よりピアノと歌を専門的に学んできました。将来はNHKの「歌のお姉さん」になりたいと思っていました。大学では声楽を専攻しましたが、自分の実力を知り、難しいと判断しました。でも、声を使う仕事には就きたいなと思っていたところ、多治見市にコミュニティーFM局「FMピピ」が開局することを聞き、パーソナリティーのオーディションに応募したのです。大学3年生のときにミス可児に選ばれて、マスコミの仕事に興味を持っていたことも、応募の動機のひとつにあります。
合格して、学生DJとして仕事をさせてもらうようになったものの、アナウンサーの勉強もしていない私が、皆さんに何をお伝えできるのか、考えました。そのとき頭に浮かんだのが、人と人の繋がりが希薄になっている世の中でした。互いを思いやって、みんな仲良く暮らしていけるよう、世の中に愛を伝えたい、と思ったのです。私のラジオを聞いた方が、家族との時間を増やそうと思ってもらえるような番組を目指すことにしました。
大学卒業後は、岐阜放送の契約カメラマンやテレビレポーターなども経験しました。ラジオ、テレビの各局でお世話になりながら、かれこれ20年ほどになります。その間、「世の中に愛を伝えたい」という思いは常に私の根底にあって、揺らぐことなくずっと持ち続けてきました。
多忙からのバセドウ病発症と結婚・出産が人生の転機になった
仕事も生活も充実した日々を送っていたのですが、30歳をこえた頃、軽いバセドウ病を発症しました。当時は、朝活をしてから仕事に入り、毎日の睡眠時間は約3時間。無理がたたったのでしょう。改めて自分を見つめ直す機会となり、結婚も視野に、女性としての人生も考えなくてはと思い始めたのです。
公益財団法人日本道路交通情報センターのアナウンサーを10年ほどしていたのですが、事務所が岐阜県警察本部の9階にありました。夫とはそのご縁で知り合い、結婚に至りました。
高齢出産でしたので、子育ては、これまでバリバリ仕事をしていたとき以上の大変さだと思い知りました。仕事をセーブして育児に専念した3年間を過ごしました。子育ては尊いものですし楽しいですけど、一方で仕事人間だった私に、社会から離れてしまったという疎外感も抱かせたのです。悩みました。今振り返れば産後、ホルモンバランスが崩れて、プチ鬱のような状態だったのかもしれません。
そうした経験が、世の女性に子育てをもっと楽しくやってもらおうと、「めぐみのパパママ相談室」という子育て番組を起ち上げるきっかけになりました。ママひとりで子どもと対峙する生活の大変さなど、ラジオの中でお話しできたらいいなと思ったのです。
感謝の思いを大切にして社会貢献や子育て支援に努めて
子育てをしながらも、女性が活き活きと暮らせる社会に変えていきたい。私の思いに共感してくれた仲間たちと共に、「めぐみのパパママ相談室」プレゼンツという形で、子育て支援イベントも開催しました。手作りのイベントでしたが、大勢の方に来場いただきました。開催できたのは、本当に仲間たちの助けがあったからこそなので、「感謝の思いを大切に」を心掛けています。
大学時代にラジオの仕事を始めて、音楽からは遠ざかっていました。子育てが一段落した頃、そろそろ歌ってみないか、とお誘いを受けて、病院や介護施設の慰問活動などを始めました。娘の通う幼稚園からの依頼で、コンサートもやりました。子どもたちはとても喜んでくれました。歌は老若男女問わず、楽しんでいただけるものです。子育て支援だけでなく、音楽でも社会貢献をしていきたいと考えています。
コミュニケーションも、今の時代に求められている力だと思います。きちんと人と対面してお話しをする大切さや、コミュニケーションの取り方を伝えていくことも、講師である自分の役割だと思っています。
地元密着の取材を続けてきた全国に岐阜の良いところを発信
新たに動画配信アプリ「Pococha」のライバー(配信者)として県内各所を散歩しながら、見どころなどを紹介していく試みを始めました。岐阜県がどこにあるかご存じない方もいらっしゃいます。朝昼晩の配信を通じて、海外をはじめ、全国津々浦々の皆さまと交流を深めながら、岐阜県の魅力を発信しています。「Pococha」は、視聴者からの応援によりランクが上がる仕組みで、開始から141日という異例のスピードでSランクに上がることができました。
これまで地元に密着した取材を数多くしてきました。頑張っているにも関わらず、なかなかスポットライトを浴びない人も少なくありません。そんな人たちや岐阜の良いところを、これからも全国に向けて発信し続けていきたいと思っています。