岐阜で活躍する女性の紹介
〜岐阜で活躍する女性からあなたへのメッセージ〜

自然に感謝。先祖に感謝。
朝起きて、今日も元気に
働けることに感謝する。
そんな感謝の心を大切に


養老町女性会議 代表
大橋 美智代(おおはし みちよ)さん(養老町)

【2022年8月15日更新】

「一本、筋が通った女性」。養老町女性会議副代表の大橋美智代さんを、会員はそう評します。試行錯誤の末、廃油から作り上げた固形石けん「カエ〜ルピカピカせっけん」は、「ぎふ女のすぐれもの」に認定されました。養老町男女共同参画審議会の委員も務めており、御年80歳の今も精力的に活動しています。

昔ながらの考えに反発
 ここ養老町で生まれ、ここで暮らしてきました。養老という土地柄もあるのかもしれませんが、「女のくせに」という言葉がありとあらゆるところで出てきます。それをすごく腹立たしく思っていました。
 家のなかでもそうでした。父親は2回戦地に赴いたひとで、大正生まれの母親もそういうなかで育って、女性が前に出ることに否定的でした。私が婦人会に出かけても、時間がかかっていると戻ってくるよう母から電話が入る始末です。
 ぎふ女性大学に6期生として入学し、社会における女性問題などについて学びました。卒業後4期生の皆川さんたちといっしょに、男女共同参画社会の構築を目標とした「養老町女性会議」を平成11年に発足して地域活動を始めたのです。
 活動を続けるなか、こういう話を聞いたとか、今日はこんなことがあったと、幾度なく母親に伝えていました。次第に、私の考えや私たちの活動について、理解を示してくれるようになりました。話すこと、続けることの大事さを改めて感じました。
 そうは言っても、地域には昔ながらの考えが抜けきらないひとも少なくなかったので、男女共同参画について足を引っ張られることも、たびたびでした。私ひとりだったら、折れてしまったかもしれません。皆川さんや女性会議の仲間がいたからこそ、負けずにやってこられたのだと思います。

環境問題にも力を注ぐ
 平成13年、町長と語る会「ゴミ問題を考える」に養老町女性会議も参加しました。これを機に、環境問題にも目を向けようと「生活と環境を考える会」を立ち上げて、最初は地域のゴミ減量に取り組みました。
 養老町女性会議顧問の半田登喜代先生が初代の会長に就き、1年くらいを経て、私に任され、2代目会長を10年ほどやりました。あとを託した後進たちが現在も頑張ってくれていて、ひと安心しています。
 環境問題に取り組んでいくうち、家庭の排水や河川の汚染について学んだり、清流調査隊として水質調査に携わったりして、家庭から出る廃油が汚染につながっていることを知りました。そこで地域の川を守るためにも、廃油の有効活用をめざしたのです。
 10年近くかけて、廃油から防腐剤などが一切入っていない、手に優しいせっけんを作り上げました。なんとか固形せっけんも作りたいと思い試行錯誤を繰り返しました。苛性ソーダがうまく溶けきっておらず、色は汚く、臭いもします。温度が問題でした。やっと真っ白なものができたと皆川さんに報告したところ、「ぎふ女のすぐれもの」に応募するように勧められました。認定をいただきうれしかったです。

ものを大事にする生活
 小さい頃から、母親が古くなった着物を捨てずに、くずしてほかのものに利用する姿を見てきました。私も、ものを大事にする生活を心がけています。リサイクルを楽しみとしてやっていて、廃油からのせっけん作りも、その一環とも言えますね。各家庭から廃油を回収してくださる会員さんたちあってのことで、感謝しています。
 庭の手入れも好きです。草花も鉢植えから地植えにすると丈夫になります。自然の力はすばらしいと思います。
 寺社の参拝にもよく出かけます。四国(八十八ヶ所)や西国(三十三所)さんもお参りに行きました。京都の愛宕神社へは妹の運転で行きました。あんな山中にあるとは知らず大変でしたが楽しい思い出です。

人生をどう過ごすか
 男女共同参画や女性の社会問題などに関心がないと、女性会議の活動には携わり続けられないと思います。やっぱり女性は子どもが一番の関心事。忙しいときに限って、子どもが病気になるなど、いろんなことが起きます。今は仕事を持っている女性も多いですが、子どもをほったらかして、活動を優先するのは難しいです。
 その点、私は80歳になりますが、まだまだ動けますし、お金はないものの時間はあります。どういう人生を過ごしていくか。そう自分に問いかけたとき、いろいろできることに喜びを感じています。
 昨年来のコロナ禍で、なかなか声がけができていませんが、地域で女性がもっと活躍できるように、活動の輪を広げていきたいと思っています。