岐阜で活躍する女性の紹介
〜岐阜で活躍する女性からあなたへのメッセージ〜

判断に迷ったときは
難しそうなほうを選びます。
たとえ失敗したとしても
これまでの経験上、
得るものは大きかった


一般社団法人ヒトノネ 代表理事
篠田 花子(しのだ はなこ)さん(岐阜市)

【2022年8月15日更新】

児童の好奇心を刺激し、考える力を育む活動が特徴的な学童保育事業を運営する、一般社団法人ヒトノネ。2022年4月には、障害児を対象とした放課後等デイサービス施設を新たに始めました。代表理事の篠田花子さんは、女性が自らのキャリアを諦めることなく、子育てをしながら働ける、そんな街をめざしていきたいと話します。

ないなら自分たちで
 以前は東京で仕事をしていましたが、第一子を出産し、育児休業から復帰しようとしたのですが、東京では保育園に入れなかったため、岐阜に戻ってきました。
 子どもが年中になった頃、小学校のことを考え始めました。当時、岐阜は学童保育が満員なうえ、同じ地域に祖父母が住んでいると入れないかもしれないということでした。私はどんな仕事であれ、仕事を続けていきたいと思っていましたので、子どもが学童保育に入れないと困ってしまいます。そのときには子どもが3人いましたから、学童に入れない待機児童問題に、当事者意識をもたざるを得ませんでした。周りにも、私と同じ世代で同じ悩みを抱えている女性が多くいました。
 そこで、ないなら自分が作ろうと、2018年にヒトノネを立ち上げ、学童保育を開きました。市民活動レベルでしたが、子育てや教育に興味のある友人たちと親子向けのワークショップを開いていた経験があったことと、教育関係者も周囲に多くいましたので、自分にもできるかもしれないと、始めました。

「三方良し」の学童を
 学童保育を始めたばかりの頃、学校の学童の条件に合わず、子どもを預けられなかったお母さんがうちに来ました。うちを見つけたのは、その方が勤める会社の社長さんで、学童保育の費用も補助してくれるとのことです。会社にすれば社員の離職を防ぐことができ、そのお母さんにとっては仕事を辞めずにキャリアが継続でき、さらに子どもはうちの学童でいろんな体験をしながら過ごすことができるというそんな「三方良し」の事例を早々に目の当たりにし、実際に助かった方がいたのは良かったなと思います。
 仕事をしていない保護者の方も、子どもを預けることで自分の時間が作れたり、いろいろな子どもたちの居場所になっていたりと、学童保育をやって良かったことばかりです。
 一方で、学童保育を開いてみて気づいたこともたくさんあります。学童に来る子どもたちの中には支援や配慮を必要とする子どもがいることでした。支援が必要とわかりやすい子もいれば、わかりにくい子もいます。子どもに支援が必要なことに周囲の大人が気づいていないことも結構あり、そういったことが発達障害などの子どもたち、療育を必要とする子どもたちに向けた、放課後等デイサービスを開くきっかけとなりました。

自身の経験を還元して
 現代は新しい学び方が求められています。プログラミングや情報処理などの科目が加わったり、高校で「探究の時間」という授業ができたりと、思考力を問われる時代になってきました。答えのない課題を見つけていくことを、子どもの時から体験していくことはいいなと思い、学童をそういった場にしたいと考えました。
 元々、企業の採用支援や広告・広報の制作をする会社に勤めていたので、さまざまな職種やキャリアを見てきましたし、課題を解決する企画の仕事もずっとしてきましたので、その経験を学童の活動に落とし込みやすかったです。
 社会はいろいろな人たちの力で成り立っていて、様々な生き方があることを子どもたちに伝えたいという思いで、市民講師によるアクティビティなども行っています。これは、教育学者のジョン・デューイが提唱する「ラーニング・バイ・ドゥーイング(何かを体験しながら学んでいく)」を学童の場で実践していると言えます。
 子どもたちが、ワクワクする、目を輝かせるような体験を提供していきたいと考えています。子どもたちは興味がないとやりません。探究させるためには、まずワクワクさせることが必要です。そのためにはスタッフや仕掛ける大人たちが面白くないといけないと思っています。ですが、ときに子どもたちには見向きもされないことがあります。

女性も働きやすい街に
 私の3人の子どもは、上のふたりが小学生、末っ子が保育園児です。夫は非常にイクメンです。実家が近く、父と母にも助けてもらいながら、私は仕事との両立ができていると思います。昨年から、子どもたちと一緒に畑を耕し始めました。大根を取ったり、芋を掘ったりと、子どもたちは喜んでやっています。
 ヒトノネにはいろいろな人、様々な特技を持っている人が集まってきてくださいます。子どもたちにとっては、市民講師の方々をはじめ、社会の様々な人たちと触れ合えるきっかけにもなっていて、社会との繋がりを感じたり、自分の得意や関心を見つけたりと、良い循環が生まれています。
 かつて岐阜は女性の管理職比率がワーストワンでした。女性社長の比率も低いです。娘が大きくなったときには、女性も自分らしく働ける岐阜であってほしいと願うと同時に私も頑張っていきたいです。また、ジェンダーや障害、貧困などで悩みを持った人は現実にいます。そういう人たちにとっても住みやすく、生きやすい街になるよう願っています。