株式会社五月商店では、福祉用具の販売・レンタル、住宅改修など、要介護者や高齢者の住環境整備に関わる事業を展開しています。その営業部門において、同社初の女性リーダーとなったのが倉地理恵子さん。福祉用具の専門相談員として業務に励みながら、手話ができることなどを生かして、さまざまな研修会の講師としても活躍中です。
大学時代の経験から
日本福祉大学で、バリアフリーや福祉用具などについて勉強していました。今の仕事に直結することを大学で学んでいたわけですが、就職のきっかけは、大学時代の友人たちの存在が大きいと思います。
全盲の友人、車椅子生活を送る友人、耳が聞こえない友人も多くいました。いっしょに大学生活を過ごしていく中で、いろいろな用具が、彼らの生活を支えていることを目の当たりにしてきました。それが現在の福祉用具を取り扱う仕事の、大きなモチベーションになっていると感じています。
大学卒業後、名古屋の同業他社に4年勤めたのち、地元の岐阜へ戻り、弊社に転職しました。仕事は、社内では営業と言っていますが、相談業務が中心です。ケアマネージャーさんや病院のリハビリの先生、施設職員の方などから、困っている方がいるので、なんとかならないかといった相談を受け、それに適した用具をご紹介するのが主な仕事となっています。
どうしたらケアマネージャーさんたちに喜んでもらえるか、あるいは利用者さんに喜んでもらえるサービスができるか、を意識して日々仕事に取り組んでいます。また、大学で耳が聞こえない友人たちと交流してきたことで日常会話の手話ができるので、耳が聞こえないお客様の応対を担ってきました。
地域と密なつながりを
私が担当している区域が会社の周辺ということもあり、地域の方々からさまざまな相談を投げかけられます。私でお役に立つのであれば、できる範囲でお応えしようと、ここ10年近く地域と密接に関わってきました。
講師もそのひとつです。地域の介護施設や学校、寄り合いなどが開く催し物や勉強会によく呼んでいただきます。腰を痛めない介護の仕方、オムツの当て方、褥瘡のリスクや対処方法、介護保険の紹介、聞こえの研修会など、内容は多岐にわたります。
そのためにも、昔は正しいとされていた介護方法が今では変わってきたり、用具類も年々新商品が出てきたりと、常に新しい情報を受け取るアンテナを張っておかなければなりません。この勉強には終わりがないのです。
最近は機能性に優れた商品、便利な商品に加えて、ICT(情報通信技術)を活用した商品が増えてきました。私の苦手とする分野なので、なんとか置いていかれないように努めています。説明、提案する側がちゃんと理解していないと話になりませんから。
社内では、部下の育成やメンタルケアの部分が自分の課題です。人をサポートすることの大変さを改めて感じています。
休日は音楽を楽しむ
3年前くらいから、スティールパンという楽器を始めました。岐阜市にバンドがあり、そこに参加しています。15人ほどのバンドで、毎週日曜日が練習日です。演奏の依頼も多く、毎週末、さまざまなイベントに呼んでいただき、演奏を披露しています。犬山のリトルワールドで演奏したこともあります。年に1回、神戸で大きな演奏会があるのですが、コロナ禍で中止となってしまいました。早くコロナが落ち着いて、みんなで神戸へ遠征するのが今一番の夢です。
あまりできていないのが、オンとオフの切り替えです。土日でも利用者さんのことを考えてしまうことが多いです。実家が自営業で、土日も仕事をしており、仕事と生活がいつも横にあることが普通で育ってきました。車椅子の友人も多く、プライベートでも車椅子を押していますので、もはや仕事が生活の一部になっているように思います。
人の人生に係わる仕事
この仕事は、人生の大先輩の方々とお付き合いすることが大半です。60代、70代の方であれば人生100年時代、このあと20年、30年とお付き合いさせていただくことになります。そんな人生の締めくくりの時間に関わらせていただくのは、とても尊いことです。
加齢とともにお体が弱っていく方、進行性のご病気でどんどん体調が変わられていく方もいます。そのときのご病状に合わせて商品を考え、進行性の方ですと5年先10年先を見据えて「今のうちからこうしませんか」とご提案させていただくこともあります。
最後の日々、ご本人やご家族が介護ということにとらわれて苦しい時間を過ごすことなく、少しでもご家族の時間を充実して送っていただくためにも、私たちがサポートしています。ですから、それぞれの方の人生に密接に関わる大事な仕事なんだと、気を引き締めて取り組むよう心がけています。