岐阜で活躍する女性の紹介
〜岐阜で活躍する女性からあなたへのメッセージ〜

中津川の人たちと中津川に住む外国の人たちが、
生活の隅々で異文化交流ができる、
そんなまちづくりが私の夢です。


任意団体 午後のにほんご教室 役員(日本語学習ボランティア)
三好 亜矢子(みよし あやこ)さん(中津川市)

【2023年6月15日更新】

4年前に東京から中津川市にやってきた三好亜矢子さん。愛媛県松山市の出身で大学進学のために上京し、以来ずっと東京で暮らしてきましたが、パートナーが恵那市出身だったことから、2人の仕事に一区切りついたタイミングで、この地に移住を決めました。
家庭菜園で落花生やオクラなどの自分の好きな野菜を作ったり、烏骨鶏を飼ったりと、東京では出来なかった生活を送っています。現在は中津川市社会福祉協議会で働きながら、外国の人たちに日本語を教える活動をしています。

海外との繋がりはフィリピン留学から
 通っていた大学の近くに事務局があったアムネスティ・インターナショナルの紹介で、卒業後すぐに世界学生キリスト教連盟(本部・ジュネーブ)から奨学金を受けてフィリピンに渡航。受け入れ先はマニラのYMCA(キリスト教青年会)で、ネグロス島のサトウキビ労働者やミンダナオ島のバナナ農園などの調査報告書を提出しながら2年半留学。それがアジアとの繋がりのきっかけとなりました。
 帰国後は通信社の記者として、地方紙の家庭欄に衣・食・住や医療・福祉など、暮らし全般に関わる記事を配信。そのかたわら兼任講師として、10年ほど大学で社会教育を教えていたこともあります。また、フィリピン留学の経験を活かして、24時間テレビチャリティ委員会フィリピン事務所代表も務めました。

中津川で「にほんご」を教える
 中津川で暮らし始めた当初は知り合いも少なく、何か自分に出来ることは無いかと社会福祉協議会のホームページを見ていたとき、「午後のにほんご教室」が日本へ働きに来ている外国人に日本語を教えるボランティアを募集していることを知り、未経験ながらもすぐに応募しました。
 参加して間もない新人で経験も少なかった頃は、上手く教えられず後悔した苦い思い出があります。市内の公立校に通う中国人の小6男児を教えることになり、放課後授業のため週3回学校に通いました。授業では中国語の分かるスタッフが付き、家では中国人の両親と中国語で過ごすという、日本語が話せなくても特に困らない環境のためか、その子には日本語を覚えようという意欲が感じられませんでした。アニメや漫画など興味を引きそうな物を教材にするなど色々と試しましたが、効果が出ないまま3か月後には卒業式を迎えてしまいました。卒業式に招待されて参列しましたが、自分はここにいて良いのだろうかと複雑な心境でした。
 ただ、この失敗がきっかけできちんと勉強したいという意欲が高まりました。民間の日本語教師養成講座NAFLの通信教育を受講。1年がかりで修了しました。外国の人たちにとっての外国語である「日本語」を教える、特に「あいうえお」も知らない子どもたちに教えるのはとても難しいことです。でも、私が教えたことを理解できた時に彼らの顔がパッと明るくなる、その瞬間に出会えるのはやはり嬉しいものです。

広がり続ける活動の数々
 「午後のにほんご教室」の推薦で、中津川市の多文化共生推進会議のメンバーになりました。台湾出身の座長は中津川市にある中京学院大学の教授で、「子どもたちの日本語教育を留学生にも手伝ってもらうネットワークを作りたいね」など様々なアイデアを話し合っています。
 他にも教育委員会から相談を受けて、市内の小学校に通う外国人の子どもたちに日本語を教えたり、市内の特別養護老人ホームの要請で、EPA(経済連携協定)で来日して働くインドネシア人スタッフに日本語を教えたりもしています。また、外国人の友人から頼まれて、他県に住む技能実習生の外国人にオンライン授業で教えたこともあります。
 活動を通して知り合った外国の人たちとは、パーティーを開くなど、プライベートでも交流がありましたが、コロナ禍でなかなか会えなくなってしまいました。それでもベトナム人の生徒さんの一人は、私の全身写真や採寸データを、ホーチミン市の仕立屋の友人に送り、アオザイを作ってプレゼントしてくれました。一度着たら簡単には脱げないくらいピッタリしていてビックリしました。私の宝物です。

暮らしの隅々で異文化交流を
 文化と文化がぶつかるときの緩衝材、文化と文化が交流するための橋渡し、それを行う人や組織がきちんと働いて、異文化交流・多文化共生が始まります。自分は「自由・学び・笑い」の3つの言葉をキーワードに、何か動きを作ろうとする人間だと思っています。
 暖かい感じのカフェのような空間で、それぞれの国の料理を食べたり、映画を見たり、本を読んだり、言葉を教え合ったり、そんなことが出来るフリースペースをこのまちに作るのが今の夢です。