岐阜で活躍する女性の紹介
〜岐阜で活躍する女性からあなたへのメッセージ〜

「教育は学校だけのものではなく、地域の人に支えられている」
マスコミ勤務時代にも、現在も感じていること。
海外にルーツを持つ子どもたちを、
みんなで守って掬い上げていきます


学校法人朝日大学 教授
松井 かおり(まつい かおり)さん(瑞穂市)

【2023年6月22日更新】

可児市、瑞穂市を中心に多文化共生のための研究・調査を行い、海外につながる児童生徒が日本の学校や地域社会でも活躍できるように応援し学習環境をデザインする、教員支援員と市民サポーターによるネットワーク「多文化子どもエデュniho☆nico」を運営する松井かおりさん。子ども達が自分の文化や言語を大切にしながら、多様性を力にしていく社会、学校づくりを目指しています。

マスコミ業界から転身
 以前は名古屋のテレビ局勤務で、ドキュメンタリー制作等に携わっていました。教育畑のトピックを扱う報道部所属でディレクターをしていた関係で、児童不足で廃校になった名古屋市内の小学校を1年間追う取材の機会があり、そこで地域の人たちが先生と協力して子どもたちを育てていく姿にとても感動しました。マスコミは回転が速く、ひとつの案件にあまり時間をかけて関われないことにジレンマがあったので、教育に学校だけでなく地域や有志の人も加わり、みんなでしっかりと助け合う環境づくりがなされていることが新鮮でした。
そんな出来事から、スピードを重視されるマスコミの仕事より、もう少しじっくりと人と取り組める仕事がしたくなり、結婚を機に退職。その後、教会で子どもを対象に英語を教える仕事を始めました。未経験でしたから、子どもに英語を指導するにあたって、もっと理論を勉強したほうがよいのではないかと思い至り、大学に入り直し英米学科へ進学。主婦兼学生として勉強を続けるうち教授から勧められ、四国と兵庫と名古屋の大学院に進み、英語教育について通算11年間学びました。院生の時、非常勤の講師を務めたご縁で、大学院修了後、朝日大学で働くことになりました。

多文化共生と日本
朝日大学では、学部生に向けての英語の授業と、留学生に向けて日本の文化を教えています。大学で働き始めて5年目に、お休みをもらって海外で研究ができる期間を頂き、オーストラリアとカナダに半年間行かせてもらいました。多文化教育を国を挙げて推進するオーストラリアと、移民大国であるカナダでの滞在が、その後の活動のきっかけになりました。
カナダは、外国の子も一緒に学べるように言語の翻訳制度などが手厚く、50以上の国籍の子どもが通う学校があり驚きました。現地の先生によると、20年前はカナダも現在の日本と同じで、共通言語として英語学習が必須だったけれど、今はそれぞれの国を大切にしようという考えが浸透したそうです。日本も同じように取り組めば外国人と共生可能と言われましたが、その時はピンときませんでした。
帰国後調べてみたら、岐阜でも外国人が確実に増えていることを知り、改めておどろきました。可児市など中濃・東濃地域には、生徒の半数以上が外国人という高校があります。瑞穂市も人口56,000人のうち、2,500人くらいが外国籍。岐阜は名古屋や豊田と比べると、中小企業の小規模工場の労働者が多く、瑞穂市はフィリピンの方、次に中国とベトナムの方がたくさん住んでいます。外国人が私たちの周りにもいるかもしれないという意識がないと気づかないもので、朝日大学の学生の中にも、名前が日本的であったり、見た目が日本人のようでも、ご両親が外国にルーツを持っている子などが学んでいます。教育現場において、先生たちもそういった子どもたちへの対応に悩んでいることがわかって、知れば知るほどその存在と生活が気になるようになりました。

多様性を大切にしたい
外国人の子どもも大人も含めて共生していく活動を地元で広げたくて、市民の有志に声をかけ、2017年に「多文化子どもエデュniho☆nico」を立ち上げました。外国にルーツがある子どもたちが日本で日本語を使ってニコニコ笑って暮らせるように、という意味をこめて名づけられています。日本に住む外国人に対し、やっと国もアクションを起こしはじめ、文化庁は地域で働く大人、文科省は小学生から高校生に向けて、日本語を中心としたケアをしていこうという体制が出来上がってきた状況へとたどり着きました。
niho☆nicoでは、勉強や日本語が苦手な子への補習として毎週おこなう日曜教室、年に何回かのワークショップ、OB・OGの追跡や進学報告会など、学校だけではカバーできない部分を学校の先生と連携して、子どもたちをサポートしています。学校へ行けなくなった子や、誰とも会わなくなった子など、言葉が通じないことが原因で心が傷ついている子たちに参加してもらって、友達を増やす場を設け、心のケアを含め出来ることをおこなっています。
ワークショップでアーティストを講師に呼ぶことは、場を創るプロによるダンスや写真などに触れることで、触発されて心を開放してほしいというのが狙いです。外国の子は表現力も豊か。その素晴らしいエネルギーの輝きが、決まったカリキュラムがある学校では封印されがちです。日本語が出来ないから勉強もままならず、学業が出来ない子と評価されてしまうことがもったいないです。そこで萎縮せず将来に目を向け、多様性を力に自分の可能性をあきらめないでほしいと願っています。

地域の力、人の力
 教育の道へシフトチェンジしても、教室で使う動画を作ることに、テレビ局勤務時代に学んだカメラ撮影や編集などのテクニック、多くの人の中でのコミュニケーションや人へのサポートの仕方など、役に立つことがたくさんありました。母から言われていた「どんなことも無駄にならない」という言葉を、若いときは理解できませんでしたが、いま心から実感しています。日本語教育の歴史はまだ本当に浅く、英語も勉強も得意ではなかった私自身、ここまで深く関わることになるとは思っていませんでしたが、地域の人々のパワーに心洗われながら活動をつづけてきました。
niho☆nikoのメンバーもみんな一般市民ですが、自分と他人の境なく生活の中で目配りをしてくれて、困っている人がいたら助けようという純粋な気持ちの人ばかりです。まっすぐで意欲的なスタッフがたくさん集まってくれて、地域の財産だと思っています。いまはとにかくこの活動の後継者を育てたいという気持ちが強く、ノウハウやつながりやネットワークを共有して、チーム全体が迷わず子どもたちのサポートをできるように人材を強化していくことが目標です。教育は学問を教える技術だけでなく、状況に合わせてひとりひとりに向き合っていく人間臭い仕事。みんなでタッグを組んで、このマンパワーを信じて、これからも団体の活動を継続したいですね。