麩の製造会社として全国ナンバーワンシェアを誇る敷島産業に嫁ぎ、お麩の魅力を再発見。地元の人たちに情報発信していくうちに、資格取得、商品の開発と提案、講演や販路の開拓などから防災活動まで、どんどん活動の場が増えていったという馬場美穂さん。現在も公私ともにパワフルにその輪を広げています。
お麩の力に魅せられて
大学では遺伝子工学を学ぶ、バリバリの「リケジョ」でした。結婚するまで、麩について何の知識もなく、そもそも麩って何から出来てるの?というくらい。料理でも脇役の地味な食材だし、食べ方もわからない。調べたら、植物性たんぱく質の塊で消化も良く、栄養価も高い優秀な食材ということがわかり、自分の子どもの離乳食で使ったらぴったりでした。活用してみて良さを実感したので、お麩の使い方を広めたいなと、地元の方を集めてセミナーを開催することにしました。
自分も子育て真っ最中でしたので、初めは同じ境遇の子育てママたちをターゲットに、託児スペース完備で、コミュニティセンターで開催したところ、これが大人気。麩は消化が良くて安くて軽いから、ママさんたちの親世代にも勧められると口コミで広がり、毎回教室は満員御礼が続くようになりました。
予防医学と出会う
次の転換期は41歳の時。長男から「お母さん、国家資格持ってないの?」と言われたのが始まりでした。管理栄養士は、厚生労働省管轄で、大学へ通い単位を取得したうえで国家試験に合格しないと取れない資格だと知り、一念発起して岐阜市立女子短期大学に入学し、その後東海学院大学に編入。自分が携わる「食」について学び直しました。
家事、育児をしながらの大学生活は、仕事も並行しながらのため、出席日数がギリギリの科目もありました。年の離れた学生に交じって、にぎやかに勉強するのは楽しかったですが、当時は我ながらよくこなしていましたね。この頃、継続していたお麩の料理教室の活動がたまたま東海学院大学の学部長の目にとまり、非常勤講師の依頼を受けることになりました。大学講師の仕事が増えたおかげで、さらに多忙になりましたが、いかにうまく時間を使うかというコツも学びました。同居していた母をはじめ、家族は理解し、協力してくれて、私の勉強にも興味を持って接してくれたのはありがたかったです。
管理栄養士の資格取得によって、公衆衛生、高齢者の食事、スポーツ栄養学など、さまざまな視野の広がりを与えてもらいました。資格を活かした仕事をもっとしたくて、さらに勉強を重ね、多くの選択肢の中からフォーカスしたのは予防医学でした。医師である弟から、医療現場の話を聞く機会が多く、予防医学の大切さを強く感じるようになりました。ただ長生きするだけでなく、食事や生活習慣の改善で病気を予防して豊かに生きるという理念に共感し、健康な人たちに向けた食事のとり方に始まり、働くお母さんの時短料理を教室に取り入れるなど、自分の考え方の幅を広げるきっかけになりました。
視野も人脈も広げたい
2020年に水害ボランティアに行ったとき、被災者の方が食べているものがあまりにも栄養バランスが偏っているのを目の当たりにして、なんとかできないかと、レシピや栄養バランスガイドを考案しました。防災は「災害を防ぐ」と書きますが、実際のところは自然現象だから私たちには防げません。だけど備えることはできる。私は「備え食」「備え人」と呼んでいますが、災害に備える知識を紹介する活動のために防災士の資格を取りました。
まずは地元・本巣市からこの運動を広めようと、道の駅などで防災イベントを始めたら、自治体・学校関係・子供会などの団体の目に留まり、講演をやってほしいと頼まれるようになりました。ひとつ行動すると人脈がどんどん広がっていきました。料理教室の活動にも興味を持っていただけたこともあり、幼稚園から高校、高齢者まで幅広い年代層の人から声をかけて頂くことが増えました。人が好きで話すことも好きなので、どんどんつながりが増えていっています。
まだ始めたばかりですが、「ふーちゃんの元氣食堂」という名前で、お麸のスナックやかりんとうをはじめ、岐阜の食材を使ったスイーツや発酵調味料など、健康でおいしい食品を発信していく拠点をつくりました。廃棄になった地元野菜を農家から引き取って乾燥野菜を作る取り組みは、防災食にもなるのはもちろん、簡単に調理ができる食材にもなるし、SDGsの12番「つくる責任・つかう責任」にもあてはまるということで、力を入れ始めました。いろいろな食材に興味を持って、追及して調べて試作して、次のアイディアもどんどん展開して考えるのが大好き。元氣食堂のスタッフも活発に意見をくれて、試行錯誤を楽しんでいます。
健康の輪を、本巣から
息抜きは山登り。2000m級から、思い立ったらすぐ登ってしまう金華山まで、山登り仲間と集まって、時間が許す限り参加しています。ストレス発散という意味であれば、バッティングセンターで1時間くらいバットを振ればスッキリ。仕事とプライベートは優先順位を決めて、やり切ったら持ち越さないようにしています。子どもの頃は、生まれ変わったら男になりたいと思っていましたし、女性だからという理由でチヤホヤされるのも好きではないので、仕事への向き合い方も男性的かもしれませんね。
結婚したときはこんな将来を予想できませんでしたが、国家資格をとってから出会った方たちがいろんなご縁をつないでくださり今があります。ずっと変わらないのは、昨日より今日、ひとつでも一歩でも成長していたいという気持ち。
近い将来の夢は、自然豊かなこの本巣市で、本巣の自然を感じ、地元の食材で出来たご飯を食べる「クアオルト事業」のようなものを実現させることです。それから、高齢者の自立も含め、社会を退かれた方が輝ける場所を提供したくて、この「ふーちゃんの元氣食堂」もそういったコミュニティのひとつへの足掛かりになればいいなと思っています。人生100年時代、心豊かに生きる、心も体も健康な人でこの岐阜をいっぱいにしたいと思っています。