岐阜で活躍する女性の紹介
〜岐阜で活躍する女性からあなたへのメッセージ〜

世話が面倒だから、
と言う人もいますが、
花や植物をもっと気軽に
家に飾ってほしいな、
と思っています。


花の店びおら 店主
平山 久代(ひらやま ひさよ)さん(池田町)

【2023年6月22日更新】

池田町で花屋を営む平山久代さん。2022年8月に移転した5坪ほどの小さな店舗には、季節の花々のほか、食虫植物や苔テラリウム、ブリキのオブジェなどが並び、平山さんの好みを反映した、特色ある品揃えが目を引きます。長年にわたる知識と経験を生かして、寄せ植えや正月飾りなどの体験教室の講師としても活躍しています。

お客さんの要望もあって独立
 花屋の仕事に就いたのは、40歳のときです。夫と別れて、高校生の子どもを育てていくうえで、何の資格も持っていないうえ、勤めた経験もアルバイトくらいでした。でも、子どもの頃から花は好きで身近な存在でしたし、花の本もよく読んでいましたので、仕事をするなら花屋だと思いました。
 以前勤務していた大垣市の花屋は、池田町にあるスーパーの店頭販売も行っていました。そのスーパーが閉店することになり、多くのお馴染みのお客さんから花屋を続けてほしいという要望がありました。子どもも独り立ちしたので、自分の店を持つ決意をしました。
 7年ほど勤めていて、そのまま続けていくほうが楽なことはわかっていました。ただ当時はあまり深く考えることなく、なんとかなるだろう、と独立開店へ動き出したのです。
 新規のお客さんを獲得するのに不安な時期もありました。大垣の花屋では鉢物の仕入れなども経験していましたが、大きなお店と小さなお店では消費する花の量が全く違ってきます。当初は仕入れる数の把握が難しく、仕入れすぎて残してしまい、「ごめんね」と捨てたこともありました。

コロナの影響も大きく
 次第にお馴染みさんも増えていき、約15年間、営業を続けてきました。しかし、近年は世代交代が進み、若い方は路面店に来るよりも、スーパーやドラッグストアで、買い物のついでに花を購入するようになってきました。加えて、新型コロナの影響は大きかったですね。花は贅沢品なんです。生活必需品とは違って、ないならないで済んでしまいます。
そんな変化とコロナ禍で、これは限界かなと思い、店を閉めようかと悩みました。でも10年以上のお馴染みさんもまだ大勢いらっしゃいます。いろいろと考え、スタッフとも相談するなか、コンパクトな店に代えてみようとなったのです。
 最初に店を開くときも、当時のお客さんが「うちにおいで」と店舗を探していた私に声をかけてくれたのですが、このときも池田町の池野でヘアサロンをされている高橋さんから「うちの前に移ってこないか」と誘われました。そのうえ、できるだけお金をかけずに店舗を作るためにはどういう方法があるか模索していたら、DIYが得意という高橋さんが、コンテナを改造すれば安く済むし、内装は自分が全部やってあげる、と提案してくれました。
 なにか迷ったり困ったりしたとき、すごく運が良いのか、助けてくれる人がいつも現れるのです。本当に人に恵まれていると、感謝しかありません。

差別化も意識しながら
 店舗を小さくしたため、いろいろ置けないので、まずは自分の好きな花を置こうと思いました。元々、贈り物としての花を提供したいと始めた店なので、ギフトの主となるバラは必ず数色用意しています。お墓やお仏壇用の需要も多く、菊も欠かせません。あとは、スーパーなどにはない食虫植物も置いています。ちょっと変わったものが好きなんです。
 お誕生日や記念日に贈る花束やアレンジの花々など、切り花は事前予約制にして、ロスを削減する工夫も始めました。仕入れは週に2回、名古屋市港区の大きな生花市場に出かけます。片道1時間半かかり、朝の3時半には出発します。
 運転が好きで、朝も得意なので、あまり苦にはなりません。趣味が山登りや旅行で、車で九州でも北海道でも行きます。リフレッシュにと、眺めの良いところや温泉に出かけるのですが、ついその場所に咲いている花に目が行きがちです。テレビを見ていても、セットに飾ってある花のほうが気になってしまいます。趣味が仕事になったようなものです。

今やれることを一番に
 接客はあまり好きではなくて、お馴染みさんが来店されると顔を出しますが、ほとんどはスタッフに任せています。非常に明るい子で、スタッフにも恵まれていると、つくづく感じています。ありがたいですね。実は、自宅では花を育てていません。連れて帰ると枯らしてしまいます。ほぼ寝に帰るようなものですから。
 花屋になったのもそうですが、やりたいと思ったことは、とりあえずやってみることにしています。やらないで後悔するよりも、失敗しても良いからとりあえずやってみよう、という考えで若い頃からずっとやってきました。
 もう将来を考える若さもないですが、ここに移転したことを広く知ってもらうのが今の目標です。店を開いたときは、あれもやりたい、これもやりたい、と思っていましたが、今はやれることを無理なくやっていこうと思っています。