岐阜で活躍する女性の紹介
〜岐阜で活躍する女性からあなたへのメッセージ〜

「たまたま」出会い「たまたま」つながり
偶然が必然を呼ぶ音楽人生
ドラムサークルそして演奏・作曲活動、
どちらも大切な、私をかたちづくる一部です


ドラムサークルファシリテーター・音楽家
松尾 志穂子(まつお しほこ)さん(岐阜市)

【2023年6月22日更新】

名古屋音楽大学卒業後、フリーの演奏家や講師を経て、2002年よりドラムサークルの活動を始め、福祉、教育、イベント等、東海地方を中心に全国各地のあらゆる現場でドラムサークルを年間200回以上行う松尾志穂子さん。各現場に合わせた音楽セミナーも多数開催しています。マリンバ、パーカッション・鍵盤ハーモニカ奏者としても演奏活動の展開とアルバムリリースなど、音楽と生きる毎日を送っています。

打楽器との出会い
 中学生のとき吹奏楽部に入部しました。ピアノは子どもの頃から習っていましたが、県のコンテストにたまたまマリンバで出場したら、たまたま最優秀賞を受賞。音楽の道に進もうとは思っていなかったのですが、ピアノの先生から、打楽器で音大を目指してみないかと勧められ、猛勉強して音大に進学しました。卒業後は非常勤の音楽講師や、オーケストラのエキストラなど、フリーの音楽家を続けていました。
 ドラムサークルとの出会いは30代の初め。ドラムサークルは、アメリカから入ってきたパーカッションのアンサンブルで、ジャンベなどの太鼓、主に打楽器を使い、輪になって楽しむ即興音楽です。上陸当時全国でドラムサークルをやりそうな人材はいないだろうかとリサーチがかけられた時、東海地域では私に白羽の矢が立ったのです。
短い研修後に待ち受けていたのは、音楽療法士を対象にドラムサークルの講座を約10回行ってほしいという依頼でした。文献もほぼなく、当時はインターネットも普及していませんでしたし、資料はやっと手に入れた海外のビデオ2本。今思いかえせばかなりの無茶ぶりでしたね。
自分なりに「ドラムサークルは太鼓を使ったコミュニケーションの即興音楽」と内容をまとめ、やり遂げたところ、その受講者の紹介で、短大のドラムサークルを題材にした講座の開講に繋がりました。その後、ドラムサークルの生みの親と言われるアーサー・ハルが、愛・地球博でドラムサークルを行なっている事を調べて会いに行き、英語も話せないのに頼み込んで、まだ幼い子どもを岐阜に残し、単身で山梨へ行き、3日間山にこもってのワークショップに参加しました。この経験がきっかけで、聴いてもらうための音楽を生業にするのではなく、音楽をツールとした生き方をしようと決心がつきました。

音楽教育の世界へ
ドラムサークルの活動を始めたものの、幼児と高齢者と障がい者に対しては、うわべの知識ではその人たちが生きるために必要な活動はできないと気付き、時間をかけてその現場に加わろうと決めました。やりたいという気持ちがあると、チャンスの神様は向こうからやってくるもので、ご縁があって幼稚園・保育園のリズム音楽講師として計12年間幼児教育に携わることが出来ました。また、たまたまですが、ドラムサークルの講座の受講生の中に、名古屋の障がい者施設の職員がいて、声をかけて頂き、ドラムサークルの講師として障がい者さんと深く関われることになりました。
いまでは、10か所以上の障がい者施設で、療法的なドラムサークルをするのが自分の活動の大半になっています。コロナのさなかですが、2022年度は年間200本のドラムサークルをリアルで行いました。施設の職員さんとタッグを組んで、一人ひとりの状態に合わせた工夫を行い長期計画で携わっています。人が変容していく過程に立ち会うのがすごく好きで、彼らが「生きる力」を手に入れるお手伝いができればと思っています。
ドラムサークルは、イベント、教育、研修など、人や団体を選ばず多様化できる活動なので、療法的なものだけでなく、全国各地の様々な現場で展開しています。2009年に立ち上げたオープンなコミュニティードラムサークル「ぎふドラムサークル」は月一回のペースで今もずっと続けています。

音楽が生み出す可能性
ドラムサークルのパイオニアになろうと活動を続けていましたが、最近は、マリンバや鍵盤ハーモニカ奏者としての創作活動も活発に始めました。ドラムサークルにおいて、その人が発信する表現であれば、どんな形でも、あるがままを受け入れて音で繋ぐのが私の仕事です。言葉を持たず、身体を思うように動かすことが難しい障がい者さんとの音による会話を積み重ねていくうちに、鍵盤ハーモニカは他者とつながる自分の声であると感じました。それをかたちにして自分を表現したいと思うようになり、初めてのリサイタル開催やCDリリースなど、音楽活動の幅が広がりました。
自分の演奏能力が上がれば、ドラムサークルでも質の良いセッションが出来るし、ドラムサークルでの活動があるから、一方通行ではない、人に寄り添った演奏ができる。無駄なことはひとつもありません。私の中で、演奏活動は自己表現、ドラムサークルは人とつながる方法、と同じ音楽でも発信の仕方が違うものだと区別されていますが、どちらも大切にしています。
演奏活動は楽しいのですが、体力的にはとても大変です。大きくて重いマリンバを、つど解体して運搬し、会場で組み立てる楽器運搬作業は体力勝負です。また演奏家として練習もしなければならないですし、加えてドラムサークルもあり、スケジュール管理が重要です。特にドラムサークルは、私が健康でなければ、誰も私に気持ちを預けてくれないので、自分が心身ともに健康でいることはマストです。

自分の成長をとめない
夫はトランぺッターで消防音楽隊に所属しています。音楽の活動ジャンルも違い、共演の機会はありませんが、音楽家としての理解もあり楽器の積み下ろしや組立ても協力してくれます。好きなことが仕事ですので忙しくても幸せなのですが、オンとオフははっきりしていて、休む時は音楽友達とお酒を飲んだり、頭をからっぽにして何もしない時間をつくります。
自分にしかできないことをやりたいというのは、近い未来も遠い将来も変わらない思いです。大きな会場でコンサートを企画して今現在の自分の音楽を届けたい、これは具体的な目標ですね。
座右の銘は「天国に行くのではない、天国にするのである」これは教員だった父の言葉です。自分で道は拓け、他力本願ではなく、誰かのせいでもなく、神様に頼るのでもなく、自分で天国をつくりなさい、という意味です。芸術は天井がないので、自分がここまでと決めてしまったらそこで終了。自分が成長を止めたら、自分に関わる人たちに、もっと提供できることはあるはずなのにそこで止まってしまう。だから絶えず自分の中に新しい水は流しておきたいし、自分が「これだ」と言えるものを提供できる自分であり続けようと思っています。