岐阜で活躍する女性の紹介
〜岐阜で活躍する女性からあなたへのメッセージ〜

大好きな自然とわらべうたと絵本を子ども達にも、
その思いでずっと活動を続けてきました。
その子ども達も今では親になり
今度は子ども達のために活動しています。


岐阜県シェアリングネイチャー協会 理事
原 令子(はら れいこ)さん(中津川市)

【2024年8月28日更新】

中津川市の原令子さんは保育士として働きながら、「ネイチャーゲーム」の普及や「中津川えほんジャンボリー」の立ち上げなど、様々な活動を通して子どもの学びと育ちに関わってきました。遊びに来ていた子どもたちが親となり運営する側になってきた今、新しい世代へのバトンタッチを視野に活動のステップを次の段階に進めます。

子育ては自然の中で

 生まれは長野県の木曽で、就職する20歳まで地元で暮らしていました。保育士を目指していましたが地元に就職先が無く東京で探す事に。どうせ行くなら東京の真ん中を目指そうと中央区の採用試験を受けて無事合格、勝鬨橋のたもとにある保育園に5年間勤務しました。月島や佃島周辺で下宿していましたが、路地ではステテコのおじさんが将棋を指し、商店街にはお煎餅屋さんや下駄屋さんもあり、お風呂は銭湯という絵に描いたような下町です。
当時、中央区にある保育園の園庭はラバー舗装されていましたが、私が勤務していた保育園は唯一『土の園庭』がある保育園で、近くを園児たちと散歩していると蝶々が飛んでいたりススキの穂が色づいていたり、東京でも自然を見ようと思えば見つかるのだと気付きました。お正月は東京の空も空気が澄んでいて星が見えました。それだけが理由と言う事ではありませんが、子育ては自然が美しい故郷に帰ってやりたいと思いました。

ネイチャーゲームとの出会い

 その後、縁あって結婚した人の地元、中津川で暮らすことになりました。3人の子どもを次々と授かり、今で言うママ友たちと子育てサークルに参加して、新聞を作ったりおもちゃ図書館から借りた玩具で地域の子ども達を集めて遊んだり、そういった活動を楽しんでいたある日、子どもが保育園から持ち帰った「遊ぼうよ森の中で」という本でネイチャーゲームを知りました。森の中で目隠しをしてロープを伝って歩いたり、声を出さず手や指の合図だけで静かに森の中を歩いたり、知らなかった遊びが色々と紹介されていました。巻末にネイチャーゲーム研究所の活動だと紹介がありました。同じ頃、近くの小学校でネイチャーゲームをしている新聞記事を見つけ、実際に自分の子どもと一緒に参加してみました。面白いと思ったと同時に地域の子ども達にも体験してほしいと思い、岐阜県で開催された指導員の養成講座を受講して指導員の資格を取りました。そして近隣の指導員に協力してもらい、中津川の「夜明けの森」でネイチャーゲームを始めました。

子どものための活動に没頭

 中津川の苗木地区はみんなで子育てを学びあおうという地域です。声をかけて頂きPTA活動の子育てセミナーに参加していましたが、子どもが大きくなった先輩方がだんだんと抜けていく中、新しい人になかなか入ってもらえません。でもセミナーのテーマ『子どもたちの未来を語ろう』という言葉が私の心にとても響きこの活動を途絶えさせる訳にはいかないと声掛けを続けていたところ、当時勤務していた保育園の保護者の方々が参加して下さいました。その翌年、何とか予算のメドも付いたので、地歌舞伎の芝居小屋『常盤座』に絵本作家を招き「中津川えほんジャンボリー」を開催しました。この催しはコロナによる中断もありましたが今も続いています。
 この他、名古屋でわらべうたを研究して講師もやっている方と知り合い、地域のわらべ歌を学べる場として「中津川わらべ歌の会」を立ち上げました。今では地元の若い保育士も参加して活動を続けています。
 また、中津川市環境課と一緒に幼児向け環境教育として何が出来るかを考え『木育』を始めました。中津川は森林の多い土地で林業・木工業に従事する人も多く、材料・職人・技が揃っています。30年ほど前までの保育園では、ノコギリやナイフで、木を切ったり削ったりして遊んでいたそうです。毎日道具を鞄に入れて登園したという話も聞きました。それくらい木が身近な存在だと言えると思います。ここでは木で遊ぶだけでなく、その木が生えている森や林にも出かけて行き、自然に触れる事も大切にしています。

繋がりを絶やさぬように

 私自身は子育てのサポーターとして、中津川で子育てをしようという親御さんたちを、色々な活動を通して応援してきました。でもそれは私が皆を引っ張ってきたのではなく、周りの人たちが私の足りない部分を手伝ってくれたから出来たのです。そして、遊びに来ていた子どもたちが親になり、子どもを連れてきたりスタッフに加わってくれたりする姿を見て、自分が学んできたことや先輩から教わってきたことを、次の世代に引き継ぐ時が来たと感じています。今のスタイルのままでなくても、次の人たちがやりたい形でやってくれれば良い。今度はつなぎ役として、バトンが渡るのを見守りたいと思います。