加圧浮上装置という廃水処理装置の一種を製造する田中工業所。1949年に創業した老舗の工所ですが、田中佑子さんが入社した当時は経営難に陥っていました。スポーツ系のキャリアから一転、経理や労務の仕事に携わりながら、会社の改革に取り組んできました。2022年11月、5代目社長に就任して、更なる発展を目指しています。
兄の死で家業の手伝い
大学は体育学部で、大学院に進み、スポーツ科学を専攻していました。スポーツ系の会社で商品開発をできればと、大手スポーツ用品店に就職して2年ほど過ぎた頃、職場に連絡が入り、兄の事故を知りました。
実家に帰り兄の葬儀を終えた後、家業の詳しい状況を聞きました。兄が後継者として入社しており、その兄がいなくなったのは、会社にとってかなり打撃が大きいと思いました。私だけが元の日常に戻っていくことに違和感を覚え、少しでも役に立てればと、退職して家業を手伝うことにしたのです。
そのときは3年くらい頑張れば状況は良くなるのでは、と甘い考えでいました。ところが実際にやってみると、町工場がうまくいかなくなる要因というのは様々で、3年くらい頑張ったところで無理だと感じました。以来9年、自分なりに試行錯誤して承継する覚悟が固まり、2022年社長に就任しました。有難いことに今は黒字化できています。
資金繰り表を活用して
経理担当として入社しましたが、簿記の経験はありませんし、それ以上に経営や自社の装置について何の知識もありませんでした。それでも経営再建について調べていく過程で「どんなに黒字の会社でも現金がなくなれば倒産する。逆に現金があれば、どんなに赤字の会社でも続いていく」と書かれていたのを目にとめて、私がやるべきは、とにかく資金繰りを改善していくことだ、と確信したのです。
それから資金繰り表を作り始めました。まずは月々数万円単位でも固定支出を抑えることを続け、不安定な経営状態を食い止めるように努めました。しかし早速大きな課題にあたりました。材料費の支払いなど、集計したい数字が集められないのです。数字を集めるために注文内容を一人ひとりに聞いて回ることも非効率だと思い、デジタルの力をうまく使うという発想に至りました。
デジタルツールは、私の思い描くシステムをノーコードで構築できるものにしました。ただ、本格導入には時間がかかりました。材料費や外注費の担当者は以前からパソコンは使っていたので、さほど導入に苦戦はしませんでしたが、労務費をタイムリーに把握するには、工場の皆さんにも取り組んでもらわないといけません。
工場の見える化を推進
労務費のデジタル化を進めるには、使う人が便利だと思わなくてはいけないと思い、作業予定の見える化から取り組もうと思いました。最初からデジタルでやってもらいたかったのですが、大事なのはデジタルでやることでなくて、見える化です。
当初はパソコンの苦手な工場長に紙に書いてもらいました。そのうち見える化することのメリットを感じてもらえ、「毎回手書きするのも面倒だから楽にやりたい、デジタルでできないか?」という流れを作ったのです。これが工場のデジタル化の始まりでした。現在、工場にはモニターが設置してあり、従業員のスケジュールが表示されています。
他にもいくつかデジタル化を進め、徐々に全員に入力をしてもらえるよう改革をした結果、今では材料原価の見える化がタイムリーにできるようになりました。受注額は変わらないですが、作業効率を上げるとか、支出を抑えるとか、収益性を高めるために必要なことを、自分たちで考え行動してもらえるようになりました。
また、前回の反省は次回の見積もりに生かし、適正価格で受注するという流れを作ることもできました。私がデジタル化をしたから良くなったというよりも、見える化したことで、自然と従業員の意識が芽生えてきたのです。
10年先を見据えながら
現在、小学生の娘と両親の4人暮らしです。今は趣味と呼べるものはなく、子育てと仕事の毎日です。高校まで水泳をやっていたので、時々泳ぎたくなりますが、プールに行く時間を確保するのが難しく遠のいています。
子どもは本を読むことと絵を描くことが好きで、私とは全然違うタイプ。物事をよく観察して感じ取る姿に感心します。学年が上がって社会や理科などを学ぶようになったら、いろんなところへ連れて行ったり、体験させたりする機会を増やして、本物を見せてあげたいです。
子育ても仕事も、今が10年先の結果に繋がっている、という視点で行動選択をするようにしています。手っ取り早く成果を出すよりも、10年先を見据えていると遠回りしている気分にもなりますが、このやり方で着実に前進していると感じているので、これでいいのかな、と思っています。それよりも何もしない、現状維持でいる、という選択の方が怖いことだと思っています。
経営難から再生していく作業はとても辛かったです。父から私への承継や決意するまでの葛藤、いろんなことが複合的にあり、跡を継ぐ側、継がせる側の不安が今はすごくわかります。
中小零細企業の事業承継が進まないことと、儲かっていないことは、実は深い関係があると思っており、一緒に解決すべきだと考えます。今後は、当社と同じような規模の会社の、特に事業承継がからんでいる場合の企業支援にも取り組んでいけたらと思っています。