岐阜で活躍する女性の紹介
〜岐阜で活躍する女性からあなたへのメッセージ〜

農業を通じてさまざまな人に出会い、
さまざまな取り組みに尽力。
今後は培ってきたことを
若い世代に伝えていきたい。


佐伯農場
佐伯 美智代(さえき みちよ)さん(白川町)

【2024年8月29日更新】

白川町の兼業農家に生まれた佐伯美智代さんは、24歳の結婚を機に就農。長らくトマトを栽培してきました。日々の農作業だけでなく、岐阜県の女性農業経営アドバイザーを務め、さらに農業委員として、食農・食育活動にも注力。近年は、改装した住居で農泊の宿を始めるなど、とにかく精力的に活動されています。2022年には、その実績が認められ、岐阜県の女性農業者のロールモデルにも選ばれました。

夫婦でトマト農家に

 高校を卒業してから白川町を出て、愛知県で3年ほど働き、Uターン。その後、役場に勤務している時に夫と知り合い、24歳で結婚しました。当時、夫は農協を退職して切り花の専業農家としてすでに独立。バブル期は1本400円で花を販売していましたが、バブルの崩壊が起こると40円まで値下がりし、私たち夫婦は不安に駆られました。その頃、ちょうど役場や農協がトマトを推奨作物にして栽培面積を拡大するという考えを打ち出し、「やってみないか?」との話が持ちかけられました。幸い補助金がいただけるとのことで、栽培に必要なハウスも建てられそうだと判断。決断から3カ月後に苗が届き、トマト農家として新たな一歩を踏み出すことになりました。
ずっと切り花農家でしたから、当然トマト栽培についてはわからないことだらけ。ただ、近隣に私たちと同時期に始めた農家が2軒あったので、協力し合いました。トマト栽培を始めた頃、農業に取り組む女性たちの広域グループができたので、早速参加することとし、その活動で私自身が出かけることも多くなりました。こうして行動範囲が広がったことは、私にとってよいリフレッシュの時間をもたらしてくれたと感じています。

個の存在を確立

 私は、38歳の時に県から農業経営アドバイザーの認定を受けました。長らく「佐伯さんの奥さん」という立ち位置で生活してきましたが、アドバイザー認定を受けたことで、佐伯美智代という個の存在がしっかり確立されたように思います。
 43歳の時には、農業地の最適化を担う農業委員に町議会の推薦を受けてなりました。ちょうどこの頃から始めた取り組みがあります。それは、農園見学や農業体験を希望する方々を受け入れて農業の楽しさを直接伝えることです。参加者には見学や体験の後に、トマトやジュースをふるまうのですが、その時の参加者の嬉しそうな反応を見ると、こちらも「やっててよかった」と心からうれしくなります。
 このほか、白川町の食育事業にも参画。具体的には、調理実習や「親子で種から野菜を育てる」という企画への協力です。なお、後者の企画では、種ではなくミニトマトの苗を育てて提供するようになり、大変喜ばれています。
 佐伯農場ではトマト栽培に加え、夫が有機農法で稲作もしており、昔ながらの稲架掛け(はさかけ)によって、刈り取った稲を自然乾燥させています。
 2022年、白川町蘇原地区の若者有志が「ソハラボ」という地域団体を立ち上げました。蘇原のよさを後世に伝えていくため、ワークショップなどを開催しています。そのなかで、田植え、稲刈り、刈り取った稲を使ったしめ縄づくりなどのワークショップが企画され、昔ながらの稲作に取り組む佐伯農場としてもサポートをさせてもらっています。


家族経営協定の締結

 家族経営は楽な面もありますが、甘えも生じやすく、ルールなどが形骸化しがち。ゆえに経営を安定化させるのが難しいとも言われます。そこで、私たちは家族経営協定を締結しました。これによって、経営理念が設定され、各自の役割も明確になりました。
 3人の子育てをしながらの農業は、それなりに大変でしたが、次男が高校生の時に「後を継いでもいい」と言ってくれた時は、本当にうれしかったです。その次男も就農して10年が経ち、結婚して子どもが生まれました。今は私たち夫婦と息子は別経営で切り盛りしていますが、家族経営協定を結んでからずいぶん年月も経過していますので、これからどうしていくべきか、息子夫婦と一緒に協議していきたいと思っています。

農泊の宿にも挑戦

 トマト農家を続けてきたなかで、付加価値を高めることに対しても自分たちなりにこだわってきました。例えば、「佐伯さんちのむぎめしトマト」。これは、白川町でしか採石されない麦飯石を利用して育てたトマトで、そのトマトでつくったジュースは、ふるさと納税の返礼品にも選んでいただきました。
 佐伯家では、2022年春から新たに農泊の宿を始めました。築年数が経過した昔ながらの大きな家での暮らしは、毎年冬が正念場。長らく寒さが身にしみる思いで生活していましたが、コロナ禍の時、夫の同級生が家のリフォームをしてくれて、我が家が大きく生まれ変わったのです。ちょうどその頃、夫がグリーンツーリズムに関わっており、私もかねてからその活動に興味持っていました。「やはり地域に人が住んでいなければ、農地は守れない」との思いから、私たちはまず交流人口を少しでも増やすことから始めてみようと考え、そのために農泊の許可を取り、思い切って宿を始めてみることにした訳です。
 白川町移住交流サポートセンターや白川ワークドット協同組合などの協力もあって、今までに10人のお客さまに泊まっていただきました。最初は、東京の学生さんがワーキングホリデーを利用して2週間も泊まってくださり、今でも数組のお客さまとお付き合いがあります。
 こうして自分の歩みを振り返ると、農業を通じてさまざまな人に出会い、さまざまな出来事に関わることができました。昨年は岐阜県の女性農業者のロールモデルに選出していただくなど、光栄な機会にも恵まれて感慨深いです。
 今、白川町には、他府県から移住する若い方々が少しずつ増えています。そういった方々の力も借りながら、家族皆で協力し合い、地域全体を盛り上げていきたいです。