松井倫子さんは、中津川市で2人のお子さんを育てながら、廃棄されるデニムから作るバッグのショップFREELYを経営しています。大好きだったけれど履かなくなったデニムをトートバッグに作り直してみたのが始まりで、今では自身のサスティナブルブランドを立ち上げ、ショップの経営からマルシェの開催、そして生まれ育った中津川の地域振興にまで想いを広げた活動を展開しています。
好きなものは手放せない
デニムが大好きだったので、実家に流行遅れで履かなくなったり、体形が変わって履けなくなったり、ボロボロに履き潰したりしたデニムが捨てられず大量に残してありました。最初にバッグを作ったのは1人目の子を産んだ育休中で、当時は地元の結婚式場にドレスコーディネーターとして勤めていました。買い付けたドレスに合わせる小物の製作もしていたので、育休で時間に余裕ができたこともあり、捨てようか迷っていたデニムでバッグを作ってみました。仕事に復帰した後も趣味として続け、SNSに上げてみると思った以上に好評で、2人目の育休中にマルシェに出してみると、それなりの売り上げもありました。子育てしながらの勤務に悩んでいた事もあり、これを仕事にできたらいいなと考え始め、2人目の育休明けは正社員ではなくパート社員で復帰しました。
決意と覚悟と障壁と
バッグ作りでミシンを手伝ってくれていた母が、2人目の育休中に病気で入院してしまいましたが、夫が全力で家事を手伝ってくれるので、私1人でも何とか作品を作り続ける事が出来ました。仕事が終わると母の入院先へ行き、帰宅後に夜1人で作品を作り、インスタと販売サイトに上げる日々が続きました。やがて母も退院し、売り上げも段々と上がってきたので、ハンドメイド一本でやっていきたい気持ちが強くなり、ついに独立を決意しました。
それからは東海北陸、東京、大阪と、遠方のマルシェにも名前を売りに行くつもりでどんどん参加しました。SNSで積極的に発信してきたおかげでインスタを見て来てくれる人もいて、人のつながりも広がっていった矢先、新型コロナウイルス感染症が流行り始めました。移動制限で都会や遠方に出かけるのは難しくなり、マルシェも自粛になり開催されなくなりました。
コロナ禍でもネット販売は続けましたが、対面販売のマルシェが開かれなくなってしまったので、空き店舗を借りて1人ずつ検温と消毒をしてから入ってもらう実店舗を試してみました。それでも来てくださるお客さまがみえましたし、新型コロナウイルス感染症も徐々に落ち着いてきたので、小さくても良いから地元でマルシェが出来ないかと考えていたとき、たまたま通った道路沿いで売地が目に飛び込んできました。翌日すぐに不動産屋へ連絡し、下見をさせてもらい詳しい話を聞きました。国道に面した喫茶店の跡地で、お店をやるにもマルシェを開くにも十分な広さがあり、値段も高くは無かったので、この場所でやっていこうと覚悟を決めて即決しました。
地元愛が原動力かも
住居兼店舗の小さな家を建て、残りの広いスペースでマルシェを開催しています。始めは年4~5回、翌年は毎月開催、雨の場合は近くの区民会館に場所を移して、天候に関わらず必ず開催するようにしています。また、春にはお店のオープンを記念した周年記念マルシェを開催しています。記念日的な思い入れのあるマルシェなので、出店者・来場者ともに満足してもらえる内容を心掛けて毎年準備しています。
出店者は県内と県外を半々にして、出店者同士の繋がりを広げるのと同時に、県外出店者の地元からお客さまが来てくれることも期待しています。県外と県内のお客さま同士の交流の場にもなりますし、県外の方に中津川を知ってもらう良い機会にもなると考えてのことです。実際にマルシェの後で栗きんとんを買いに行ったり五平餅を食べに行ったりするお客さまもみえるので、マルシェで中津川に人を集めて活性化のお手伝いが出来たらと思っています。
とにかくやってみる
18歳の時に交通事故で生死をさまよう大怪我をしてから、人間いつ死ぬか分からないと考えるようになりました。思いついたら失敗しようがとにかくやってみないと気が済まない性格と、事故による生死観、自身の信条"継続は力なり"が重なり合い、次々と挑戦を続けて今があると思っています。地元に雇用が生み出せるくらいに自分の会社を大きくしたい、栗・五平餅・FREELYが中津川の3大名物というくらい有名にしたい、そんな夢に向かってこれからも活動を続けていきます。


