大正時代に材木店として創業したヤマガタヤ産業株式会社。その関連会社のひとつで銘木を専門に扱う「板蔵ファクトリー株式会社」の社長を務める吉田香央里さんは、曾祖父が興した会社を継ぐために岐阜へ戻ってきたヤマガタヤ産業の後継者です。銘木を愛する父と一緒に、木の国ぎふから日本の銘木文化を世界に向けて発信しています。
木に導かれて
小さい頃は危ないからと土場(原木丸太の保管場所)に近づくことはありませんでした。家業や木に特段の興味はありませんでしたが、二人姉妹の長女なので自分が跡を継ぐことになるのかな...という意識はあり、経営には興味があったので大学は経済学部経営学科に進みました。卒業後は家業を意識して大手建材メーカーに就職し、マーケティング部で3年ほど商品の企画・開発・プロモーションに携わった後、20代半ばで家業を継ぐために岐阜へ戻りました。
建材メーカーでは本物の木を扱うことが少なかったのですが、会社に入って銘木好きの父と一緒に働き本物の無垢の木に触れてみると、材木屋のDNAが目覚めたのか気が付くとすっかり銘木好きになっていました。
男性ばかりの業界に入る
入社当時、社内には数名の女性事務員がいるだけで、トラックを動かしたり重い材木を運んだりといった女性には難しい仕事が多いこともあり、完全に男性中心の会社でした。それに違和感を覚えたのではなく、地方の中小企業、特に木材流通業は男性の力で築き上げてきた業界なのだと実感すると同時に、大企業では男女で仕事が異なっても平等に責任を持って働く環境が整いつつあり、そのギャップを強く感じました。
私にできることは何なのか、考えながらの手探りの時期が続きました。1年ほど経つと仕事の流れや役割分担が分かってきて、会社のために何をすべきか、というコミュニケーションが取れるようになり、経営にも興味を持ち始めた頃、新しく始める子会社を任されることになりました。全国から加盟店を募集するフランチャイズビジネスで、岐阜から遠方の加盟工務店に木材・建材を送り届ける販売会社です。この経験から新しいことにチャレンジする"起業"を面白いと感じ、小さな会社で構わないので社長をしてみたいと思うようになりました。
売るのは物でなく技術
数年後、もともと取引のあった木工会社の社長から、工場を買ってもらえないかと父に相談がありました。頑固一徹の職人社長が一代で立ち上げ、無垢材を手仕事で仕上げた高級婚礼家具を東京のデパートに納めていました。最盛期には50人ほどの職人を抱え、設備投資にも力を入れていたので良い機械が沢山ありましたが、婚礼家具の衰退とともに仕事も減っていき、技術力の高さで何とか経営をつないでいる状況でした。自分には家具ビジネスのノウハウは全くありませんでしたが、木が好きな者同士一緒にやりましょうと引き受けることになりました。
工場を設備ごと買い取り、退職した職人を再雇用する形で子会社を作り、新たに「板蔵ファクトリー株式会社」としてスタートを切りましたが、売り上げもゼロからのスタートでした。何でも作れる"技術"が売りでしたがそれを伝えることはとても難しく、アンテナ商品の開発や色々な人からお話を聞くことで、自分たちの原点である材木屋の持つ強みを生かし"上質な無垢の一枚板を高い技術で加工した一品物の製作"という方向性が定まりました。
岐阜には国内で流通する銘木の約6割を扱う全国一の市場があり、日本中から質の良い銘木と経験豊富なバイヤーが集まります。こうした地の利も生かして銘木を仕入れ、一点物の造作で空間全体の木質化を提案してきました。レストランのテーブル、ホテルの調度品、ショールームの内装など、今では国内外からの様々なオーダーにお応えしています。
日本の文化を守り伝える
日本は木造建築の国です。昔の建物は全て本物の木を使って建てられ、その中で綺麗な柄の木を良く見えるところに使う銘木文化が発展してきました。高価で簡単には使えないため市場は縮小傾向にありますが、日本一の銘木市場があるという恵まれた環境に銘木を専門とする会社を立ち上げた以上、この日本の銘木文化を後世に伝えるのも会社の使命だと思っています。そのためには技術の継承だけでなく、女性ならではの感性を活かした新たな提案を行いながら、銘木の業界発展にも寄与していきたいと思っています。





























